Scribble at 2021-07-27 12:47:25 Last modified: unmodified

Strengthening our workplace with neurodiverse talent (cloud.google.com)

Google の記事はどうでもいいっていうか、Hacker News のコメントを読んでる方が色々と面白い。もちろん形式あるいは建前としてニューロ・ダイバーシティを〈有効に活用する〉方法があれば導入したほうがいいわけだけど、しかしこれまた建前として私企業というのは慈善団体でもないし、社会的正義を実現するために起業することだけが経営者としての「正しい」姿勢でもない。寧ろそのようなイデオロギー(どういう道徳的に〈善い〉目的があろうと、それもまたイデオロギーである)で経済活動を制約されないところが自由主義経済の原動力とも言える。それは、計画経済の旧ソ連や旧時代の中国が頭数だけ多くて碌な成果を出せず、自由主義経済を導入したとたんに Nginx を作るわ(ロシア)、HUAWEI のような世界規模の企業ができるわ(中国)という実例が力強く証明している。グローバル化した経済情勢で、ジャパンとかいう国のようにいつまでも社会主義体制で経済や金融を管理するという発想に拘っているだけでは、先行きなど理論を使って推論するまでもなかろう。

よって、コメントにもあるとおり、自分たちの会社にとって〈有用で制御しやすい人材〉であれば登用するというだけのことであり、こんなことにアスペルガーだ健常者だという区別はない。上長の言うことを聞かず無断で物事を進めるような人間は、自閉症だろうと東大の博士号をもっていようと国家認定の天才プログラマだろうと、企業人としてはコンピテンシーが欠落している。それは、障害のあるなしとは関係がないのだ。

では、どうあっても人の言うことを聞けないような状態の人を、無理矢理にでも企業が採用し続けなくてはならないということになれば、どうすればいいだろうか(いまオリンピックが開催されている日本とかいう社会主義国なら、そういうパターナリズムを押し付けかねない)。当たり前のことだが、「健常者」と呼ばれている状態の人たちと同じチームに配属させるだけでしかなければ、最初のコメントに書かれているような結果になるのは必定だろう。もしそうならない職場があるとしても、それはただの〈神経科学的な幸運〉にすぎない。多くの大企業で従業員の何パーセントかは身体障害者を雇用しなくてはならないという規制はいまでもあるが、例えば研究開発やプログラミングといった多くの業務に足は使わないのだから、「健常者」と比べて車椅子に座っているというだけの違いしか無い人を開発の部署に付けることには大して問題もないだろう。しかし、人の話を聞かずに就業時間だろうとなかろうと好きなだけスマートフォンで動画を観続けるような人物が効果的に働けるグループなどありえないだろう。そういう人々を企業で受け入れるということは、実質的に私企業に対して精神科の医療体制を作れと強制することと同じである。

もちろん、僕はこの文章で neurodiversity に反対しているわけではない。しかし、自由な経済活動の社会体制において成立している企業には、その目的によって自ずと限界があるという常識的な話をしているだけだ。そして、neurodiversity にもとづく雇用が、ベンチャー企業で盲導犬の活動に資金援助するといった投資(財務的には社会に対する投資の一種としてしか株主に説明できまい)なり CSR と同類なのかどうかも怪しい以上、企業には行政からのサポートが必要だろうし、労働関連の法令においても何らかの条件を設定しておく必要があろう。そういうことを先に整備しないで、口先だけでインクルージョンだ排除型社会の批判だと、昔の「評論家」と称する人々の代わりに声が大きくなった社会学者のように〈結果だけを見ている正論〉をぶち上げているだけでは社会がさらに疲弊するだろう。

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