Scribble at 2021-03-14 16:27:37 Last modified: 2021-03-14 16:31:31

さきほど中央区にある大阪市立図書館(島之内図書館)へ行ってきた。ここは大阪市の歴史について数多くの資料を揃えているため、訪れたときは船場センタービルの歴史に関わる資料を物色していて、今日も「大阪三品取引所」について書かれている資料を幾つか読んできた。かつて戦前の大阪にはアジアを代表する綿糸・綿花・綿布の取引所があり、戦後になって船場センタービルを含めて道路を造成する際に大阪三品取引所のビルも移転の対象となったらしい。これ自体が既に相場師の評伝なども合わせて興味深い話題なのだが、資料が少ないのは困ったことである。おそらく、帝人や Kanebo に昔の資料が保管されているかもしれないが、あとは中央図書館で読める資料を借りて読むていどに留めておこう。

その他にも、『大阪築港100年 -海からのまちづくり』という3巻から成る大部の著作を眺めてみた。船場センタービルの上を走る中央大通は、正式名称を「大阪市築港深江線」と言うとおり、もともとは港と内陸部との連絡路としても構想された。当時の都市計画なり実務を担当した役人の座談会を読むと、築港深江線の開通は「悲願」とまで言われていたらしい。しかし、築港の歴史について詳細に書かれた本には「船場センタービル」について一言も書かれていなかった。おそらくは港湾施設についてだけ着目した本なのだろうとは思うが、海の方にしか目を向けていないという意味では、ロジスティクスという観点から十分に調べられた本ではないと言える。

ひとまず、今回は『座談会 大阪の戦災復興 その一』という昔の座談会の記録を借りてきた。それと、そもそも僕は区画整理や都市計画について知識が乏しいので、そのあたりの知識がないと役人の言ってることも正確には分からないので、少し詳しく学んでおきたい。

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