Scribble at 2009-05-06 00:00:03 Last modified: 2009-05-06 00:00:03

こういう定評というか古典というか、教養としてわきまえておきたい本を、思ったほどは読めていない。これを読んだきっかけは全くの偶然だった。ジュンク堂がいつも混んでいるのはよいけれど、特に2階フロアは客よりも人数が多いのではないかと思うほど店員があちらこちらで動いていて、みんな早歩きしてるわ、通路を塞いでるわ、はっきり言って困惑することも多い。恐らく万引き対策として、用事があろうとなかろうと色々なところを歩いているのだろうと察しはつくし、売れた本をすぐに補充するのも良いことだ。しかし客の前で気ぜわしく作業をすると、ふつうの人間の受け止め方として「立ち読みお断り」の意味に取れるということに気づいていないようだ(もちろんジュンク堂は脇にある椅子に座って店頭の書籍を読んでも構わないわけだが)。そこまで行かなくても、態度によっては、少なくとも「どけよ、お前」という意味にとれることも多い(年配の店員ほど「失礼します」などと言わず無礼な者が多いのは、社員教育上もよくないのではないか)。ということで、あまりにも混雑した通路を外れて外国文学の棚へ入っていくと、何やら村上春樹がいちばん翻訳したかった小説だとか何とか書いてある翻訳シリーズが目に入った。分厚い本からも何か挑発を感じるが、こういう「さぁどうだ」と思わせるようなセリフを見ると、一消費者としては「そこまで言うなら受けて立とう」という気にもなる。まったく、このご時世に馬鹿げた理由で買い物をしているものだが、書店で目にして「これは押さえておこう」と手に取るだけでなく、こういう果たし合いみたいなきっかけで書を手に取る場合もある。しょせん、無数に本を読む時間などないのだし、自分から道場破りに行くか、あるいは果たし状を突きつけられるかのきっかけがあれば良い方なのだろう。The Great Gatsby という作品とは、およそ関係のなさそうな経緯があって(笑、これを読むことになったわけだが、ともかく一読してみた感想として・・・まず筋は分かった。それからニックの視点から見た登場人物や光景というだけでなく、ニック自身の生き方を更に引いたところから見ても、感情の移り変わりを理解しやすく描写しているなぁと感心した。しかし、やはり「こういう人たちもいるのね」という、本質的に理解しがたいところで生きている人々という印象も残った。そこはやはり、戦前のアメリカという遠さにも原因があるのだろう。たぶん大正時代の日本を舞台にした小説を読んだとしても、個々の人間としてというよりも、こういう時代のこんな人たちとしての分からなさが残るように思う。どうなんだろう。こういう違和感は、確かに小説の一つの効果であろう。大江健三郎が岩波新書で述べていたことを思い出すのだが、それはよいとして、「こういうものもまた人生である」などと理解しようとすべきなんだろうか。

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