Scribble at 2025-08-31 07:37:54 Last modified: 2025-09-01 10:25:46

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たまたまテレビを観ている時間帯やチャネルが同じだから(土曜日の夕方から夜)なのかもしれないが、トヨタって宣伝する車がないのって思うほど、関係のない内輪ネタのコマーシャルばっか流してる印象があるんだよね。こんなのは、古くは漫談やコントの邪道と言われた楽屋ネタだったんだけど、「とんねるず」以降はスタンダードなネタのようになってて、ああしたアドリブ風のノリで展開される話を芸能界の暴露話であるかのように分析するような、はっきり言って愚かな連中がたくさんいたわけだよね。でも、既にフジテレビの一件でもご存知のとおり、彼らの楽屋ネタというのは、裏話なんかじゃぜんぜんないのであって、あくまでも脚色されたり情報が整理された(つまり局アナを「お持ち帰り」するとか反社との関わりとかを徹底してスクリーニングした)、まさしくネタでしかないんだよ。

ところが、バラエティ番組は盛んに制作・放映されているけれど、既に Z 世代どころか数世代前から、若者の多くはお笑いなんて観てないし、さらに従来の楽屋ネタなんて面白いとは思っていない様子がある。そもそも、そういうネタが通用するからこそ成立した「業界クン」のようなキャラクターだって、嘲笑の的としてすら成立しなくなっているからだ。よって、そういうネタのトークで構成されていることが多かった、雛壇芸人のバラエイティ番組なども、最近の若者は殆ど観ていないと思う。何の芸も実績もなくて、雛壇に座って司会者からからかわれているだけのマイナーな芸人すら、都内に一戸建てを買ってたりするのが吉本とテレビ局(あるいは官公庁なり反社なり)の癒着であることが分かってしまったからには、そんな連中の苦労話や貧乏ネタなんて何の説得力もないし面白くもないからだ。

もちろん、いまや多くの若者は生活が苦しくなって、時間という意味でもメンタルとしても、そういうものを観ている場合ではないという事情もあるだろうけど、そもそも楽屋ネタは業界の裏事情を怒られない範囲で暴露してるという錯覚を観客に与えていたからこそ成立していたネタなのであって、まず第一にそういうものを知りたいと思わせる動機づけがないといけない。でも、最近の若者を観ていると、正直なところそんなものに興味なんてないという人が大半を占めているように思う。だって、そんなの知ってどうなるのって冷静に考えたら分かるだろうし、彼ら芸能人の裏話を知ったからといって、別に彼らと何かの一体感が得られるわけでもなく、また一体感を求める動機もないし、おまけに彼らのことを「よく知ってる」みたいなことが社会の中で一定のステータスになるわけでもないからだ。既に常識となりつつあるとおり、お笑い芸人なんて言っても、プロダクションが経営する専門学校で訓練されて「生産」されるサラリーマンである。面白い、あるいはイケメンの外見と最低限の会話ができれば、売れるかどうかはともかくお笑い芸人なんて、横山やすし師匠ほどの才能がなくてもなれることくらい、誰でも知ってるわけだ。いまや、お笑い番組を見てる人は、恐らくライダー・シリーズを観てる男性やプリキュア・シリーズを観てる女性よりも少ないと思うね。『M-1 グランプリ』とか、周囲との話題作りや同調のために知ってたり観てるかのような振る舞いをしている人は多いけれど、実際のところ殆どの若者が観てないだろう。なので、フジテレビのような体質のメディアが凋落したという事実は起こるべくして起きたことではないかという気がする。もはやお笑い芸人に限らず、アイドルだろうと(昔から「枕営業」の話題は尽きない)、宝塚だろうと(例の虐め自殺事件で体質が露見した)、歌舞伎などの演劇だろうと(市川團十郎の醜聞も尽きない)、それから俳優でも福山雅治が次のターゲットになりかけているように、芸能界のノリというのは、人々を引き付ける魅力なんて既にもっていないのだ。

ということで、楽屋ネタをブランディングのネタとして使うのは、既に30年くらい前のセンスであって、秋元康などがフジテレビで絶大な力をもっていた頃には有効だったかもしれないが、いまどきの若者がこんな会話を眺めて何になると思っているのか、広告代理店の人たちに聞いてみたいものだね。

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