2021年04月25日に初出の投稿

Last modified: 2021-04-25

自分で名乗る人は少ないが、実質的にリバタリアンと見做してよい発言をしている人々、たとえば池田信夫君やホリエモン、あといまだに i-mode の発明者としてしか実績が知られていないオジサンとか(名前すら忘れた)、だいたい NewsPicks あたりに集まって経済や経営についてのデタラメな評論とかコメントを書いてる知的に未熟な成金連中だ。思想としての本質とか一貫性についてはさほど熱意も執着もない人々なので、それぞれプライベートな利害関係や好き嫌い、あるいは性癖などの理由で力点が違っており、たまに対立していたりするらしい。しかし、われわれから見れば彼らは同じステージに立っており、自分たちに都合がいいテーマや「問題」を設定してから、それについて好き勝手なことを言ったり悩んでみせるだけである。或る種のエンターテインメント、あるいは自意識プレイとも評価できる。

かような人々におおむね共通するのは、〈自由〉の擁護と推進である。そして、思想としての一貫性などに頓着しない人々の中には、そうした〈自由〉を獲得したり維持するために、実質的に国家権力の強制を無頓着に期待したり無自覚に擁護するという、事実上の国家社会主義者がたくさんいたりするわけである。歴史を顧みれば分かることだが、〈なんちゃって神道〉主義者だった戦前の日本(現在でも真に〈国体〉を奉じている政治家や右翼など一人もいまい)、あるいはナチスの官僚や政治家や軍人と同じ程度に浅薄な連中と殆ど同じ精神性を共有している。なぜなら、やや簡単すぎる理由だとは思うが、彼らは典型的な凡人だからだ。凡庸であるがゆえに知的な未熟さを自覚できず、思想という観点から見れば同じことを延々と繰り返す。手にしているのが石器だろうと鍬だろうと iPhone だろうと同じことだ。たぶん、シンギュラリティとやらが達成されて小さなチップに心を「アップロード」できた後でも、本質的には同じことを500年後でも喋っているに違いない(その頃には「出力する」と言った方がよいのか)。

少なくとも〈自由〉という概念が論理的には自己破壊的な含意を持ちうる危険物の一つであることは、もとより多くの先人が指摘してきたことであった。それは、何らかの著作で仄めかすこともあれば、自らの破綻した行いや発言によって体現した人もいたわけである。各人がそれぞれの意図や目論見や動機にもとづいて「自由」を主張すれば必ず衝突が発生し、そして現に過去の多くの共同体や社会においては bellum omnium in omnes を克服するために(実際には特定の人々の「自由」を優先するためにだったが)公権力という擬制が導入されたという、あまりにもよく知られた論説を繰り返して持ち出す必要もないだろう。〈自由〉には無制約・無制限の意味など最初からないのであって、それは常に誰かの或る目的のための「自由」でしかないのだ。

したがって、たとえば緊急事態宣言は憲法違反の疑いがあり経済活動の「自由」を妨げるなどと言っている信夫君のようなリバタリアンは、普段は洋書の適当なつまみ食いで社会思想に通じているようなポーズをとってはいるが、しょせん編集工学おじさんと同じく、手軽な読書で〈脳内のクリップボード〉に保存しただけの情報を使ってものを書くだけでは、真に有用な思想なり論説は生み出せないという典型的な実例とも言える。強力な公衆衛生上の措置を講じてウイルスの蔓延を抑え込まない限り、インフルエンザていどでは問題にならなかった筈の若年齢層に対する生理的なインパクトが大きいとされる新型コロナウイルス感染症の影響は今後も続くわけで、インフルエンザ〈の代わりに〉ではなく、インフルエンザ〈に加えて〉、更に新しいリスクへも継続的に対処しなくてはならなくなる。リバタリアンが大好きな「経済効果」という指標で眺めても将来に渡って深刻な損失が生じ続けるだろうし、医療体制の拡充や公的保険制度の維持など社会的なコストも増大するのは明らかだ。手前勝手に自分で鼻先にぶら下げた安っぽい「自由」のために、本当に守らなくてはならない筈の(思想という観点で評価して、必ずしも必然的なり自明である保証がないという点には同意するが)基本的人権に該当するような〈自由〉が失われる行為を推奨して、公衆衛生の理屈を無視した人々や事業者の振る舞いを無闇に擁護するようなリバタリアンの発言には強い疑問を覚える。

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