Scribble at 2024-09-30 10:02:52 Last modified: 2024-09-30 18:30:33
先日からウォーゲームの有名な出版社であった SPI (Simulations Publication Inc.) について調べている。この社名でも分かるように、ウォーゲームやテーブル・ゲームの場合、ゲームを市場へリリースすることを「出版」と呼んでいる。この会社は1969年から1982年というから、13年ていどでブームの終了と共に事業を売却して解散してしまったのだが、そのあいだに優れたゲームやシミュレーション・ゲームの先進的なルールとかシステムを世に送り出した。いまでも中古市場で取り引きされているし、アメリカでは愛好家の団体がいまでもあるようだし、オンラインのコミュニティもいくつかある。日本ではブームのときに大学ではサークルがいくつかあったし、一般人がつくる団体もあり、地区ごとに集まって同好の人々がプレイしていた。僕も1980年代には『TACTICS』とか『Simulator』といった雑誌を買っていたり、ウォーゲーム専門の店で扱っていた洋雑誌まで買っていたこともある。
ただ、ウェブ・コンテンツの特性というか偏向として、1990年代以前の情報は極端に少ないため、SPI についての情報は、簡単に言えば老人の回顧録ていどのものしかない。中には全商品のリストを掲載してくれているサイトもあるが、個人が細々と公開しているページであるから、そのうち運営者が亡くなれば閉鎖されて、せいぜい Wayback Machine に残ればいい方だろう。ただ、ご承知のとおり Wayback Machine のページは直に Google などの検索にはヒットしないため、ごくふつうに検索するだけでは見つけられない。したがって、データとして残るかもしれないが、findability は低下してゆき、実質的には消失したも同然になる可能性があろう。
それに、日本語のページを検索すると、特に最近では "SPI" と言えば人材採用で使われている "Synthetic Personality Inventory"(総合適性検査)が有名なので、"SPI" だけで検索してもゲーム会社のページなんて殆どかき消されてしまう。なお、これはオンライン・テストだが、国や外郭団体が主催しているわけではなく、もちろん「びわこ検定」や「チョコレート検定」などと同じくただの民間テストにすぎない。しかも主催しているのはリクルート系の子会社であるから、情報がどのように「活用」されているかを考えると、それほど安易に信頼して利用するようなものではないと思う。そもそも、自社にしっかりした評定の基準や知見があれば、こんな人買い、あるいは人足口利きどもが運営している適性検査など不要のはずだ。しかるに、このような「就職共通一次試験」みたいなものが普及している事実というのは、僕が常日頃から書いているように、大企業や上場企業も含めて、いかに企業の人事部というのが無能の集団であるかをよく表していると思う。やれ「人を見る目」だの「経験」だのと社会学や心理学の修士すら持っていない人物が大企業のブランドだけを掲げて本を書いたりセミナーで何を言っていようと、こんなものを自分たちが喜々として利用している事実を、少しは恥じてもらいたいと思うね。
そういや、話は SPI のことだった。弊社はしがない中小零細企業であるから、採用にあたって SPI を利用している。もちろん、弊社のような企業に社会学の修士をもつような人材はオーバー・スペックだ。よって、弊社のような業容とか実績で SPI を使っていても特に恥じる必要はない。凡庸であることを凡人が恥じたり後悔する必要がないのと同じだ。なので、弊社では特に問題なく SPI を採用応募者に受検してもらうのだが、そのためのマシンが不調となって交換することになった。いま、不必要にノート・パソコンの類を「在庫」のように抱える余裕はないので、退職者が使っていたマシンとか、型落ちのマシンを使ってもらっているのだけど、それもじきに不調となるわけである。僕としては、MacBook が余っているし、MacBook を使える社員は少ないから、これを代わりに使ってもらいたい。どのみち SPI を受検してもらうにあたって必要なのは WWW ブラウザだけなのだから、macOS やら Apple のアプリケーションやらのスキルは不要のはずだからだ。
でも、こういう事案に限らずたいていの人、特にスキルの低い Windows ユーザは MacBook を使いたがらない。ログインや終了の手順と、デスクトップにある Safari(いや Edge を使ってもいい)のアイコンをクリックして使うといった基本的なことさえ覚えたら、あとは Windows と同じなのに、どういうわけか嫌がる、というか怖がると言ったほうがいい。そして、「何かあったときに対処できない」からというのが、よくある理由だ。でも、僕はこんな理由は嘘だと思う。したがって、これを理由だと思いこんでいる多くの人々は自分で自分の本心を隠したり、自分自身を騙しているわけである。たぶん、自分が慣れた環境とは違う環境で運用することになるため、漠然と何かを「勉強したり習熟しなくてはいけない」という不安があるのだ。それが嫌だから、「パソコンのトラブル」という、多くの場合に利用者の責任ではないなにかのせいにして、あたかも客観的な理由で不適切であるかのような屁理屈を言い訳にするのだろう。でも、それは欺瞞だ。なぜなら、Windows で「何かあったとき」でも、たいていの人は僕らと同じレベルでトラブルシューティングする技能や知識や経験なんて持ち合わせていないからだ。Windows のマシンを使っていようと何かあったら俺に聞いてくるだろう、同じじゃないか、というのが僕の率直な感想だ。
これは、慣れの問題だと思っていて、最初は抵抗があるとしても、そのうち慣れる。実際、或る事業部ではメールを送受信する目的だけで Linux のマシンを執務室に置いて運用していたことがあるけれど、メール・ソフトの Thunderbird は Windows 用と使い勝手は同じであるから、OS が Windows ではないという事実にかかわるような作業さえ必要なければ、メール・ソフトを使うだけなので、そのうち慣れてしまうものだ。なので、慣れさせるまでの導入が解決できれば、OS が何であろうと大して業務に支障はないわけである。逆に言えば、どれほど長年にわたって Windows マシンを使っていようと、たいていの凡人に OS なんて運用できないのである。