Scribble at 2022-05-21 13:50:05 Last modified: 2022-05-21 17:38:07

日本で「保守」と自認している多くの人々が、実はただの西洋かぶれを隠したコンプレックスだけで思想や政治を語っている馬鹿なのは、少し哲学の訓練をしたり世界史の丁寧な(小説を書けるていどには!)勉強をして、そこから重要なポイントを取り出せる程度にささやかな知性さえあれば、誰でもわかることだ。

我が国は数千年の歴史がありながら、制度的な宗教がついには成立しなかった唯一の「先進国」である。或る意味では徹底的な刹那主義・現世主義のスタンスから、国家とか戦争とか文化(そして科学哲学者として言わせてもらえば「科学」)については、特別で自立した(もちろん、それが「正しい」という保証はない)意見が言えるはずだ。こういう、有利とまでは言わないまでも一定の特徴がありながら、従来の「保守」を名乗る物書きの大半は、神道や葬式仏教を自分たちの拠りどころとしてどうにか制度的な3大宗教に比肩しようと、姑息な言い訳や正当化をこねくりまわしてきたにすぎない。神道どころか天皇制すら〈文化的・制度的な結果〉にすぎないような、真に重要な思想(または無思想)を見出そうとする意欲も学識もない連中が、われこそは神や仏や天皇あるいは「伝統」の代弁者なりと騒いできたにすぎない。まったくもって浅薄な、保守の名に値しない暗愚と言うほかない連中である。(こういう連中の大半が、いわゆる歴史時代の『古事記』などを現代語訳で読むしか能がなく、その時代へ至るまでの生活や思考を知るための考古学あるいは文化人類学についてほとんど学識がないという共通点がある。)

僕が思うには、梅原猛氏の業績は志向として適正だったと思えるものの、やはり「西洋思想の否定」という消極的なアプローチを強調して拘泥したきらいがあって、結局は長谷川三千子氏みたいな俗物と同じレベルに終わってしまっていると思う。自律的に成立した筈の思想を理解し尊重することをよしとするはずが、ただの西洋嫌いで真の保守になれるわけがない。

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