Scribble at 2024-04-08 17:40:16 Last modified: 2024-04-08 17:50:30

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高校時代に使った参考書というと、これまで当サイトでは桐原書店の『高校 新総合英語』(長谷川 潔/編・著、3訂版、1984)をご紹介したが、美誠社の『演習英文解釈 英語の構文150』(高梨謙吉/著、3訂新版、1982)も、なんだかんだと暇潰しにページをめくりながら40年ほどが経過した本だ。念の為に強調あるいは補足しておくが、古い本を持ち続けているからといって、それが必ずしも「良い本」だからだとは限らない。いまなら、もっと優れた解釈や説明をしている本はあるかもしれないし、この本にも少なからず誤植だとか、いまなら不適切と思われる訳し方がある。

一例を挙げると、"So far as I know, she is still unmarried." を、当時の感覚では「私の知っている限りでは、彼女はまだ結婚していません」と訳せたのは確かだ。しかし、今日ではこういう表現をすると勘違いのもとになるのは明らかだろう。なぜなら、この言い方だと「女は早々に結婚するものだ」といったニュアンスがあるように受け取れるからだ。つまり、文脈が適切に調整されていないと、この文はまるっきり「彼女は、いい歳なのに、まだ結婚もしていない」というニュアンスになってしまいかねない。訳し方だけではなく、例文の作り方も悪いのである。そして、昔の英語の教材には、意外とかような例文とか訳文が多いので、辞書でも改訂するたびに色々と指摘されて例文を入れ替えたり語釈を変更したりしている。

そして、僕は既に以前の落書きで述べたように、「PC でない」という理由でそうした不適切な表現を指摘する「言葉狩り」には一定の意義があるので支持している。敢えて保守の人間として言うが、言葉狩りは、一般論として言えば「良いこと」なのだ。逆に言うと、この程度の例文や語釈を言い換えるていどで貧弱な文章しか作れないような言語は、そもそも表現力がないのだから死滅してもよいのだ。もし、左翼を始めとする色々な人たちから指摘されたくらいのことで、あなたがたネトウヨやインチキ保守やクズ右翼がまともな日本語の文章を書けなくなるというなら、君らには日本語を運用する能力などないのだから、さっさとハングルか中国語、あるいは英語やスワヒリ語でも習得するべきである。

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