Scribble at 2026-03-30 15:46:38 Last modified: unmodified
PHILSCI.INFO で何度も述べてきたように、僕が自分で科学哲学の教科書なり入門書を手掛けようと思い立った一つの理由は、これまでの教科書や概説書あるいは入門書や通俗本の類に掲載されているイラスト、漫画、図表の類が、デザインとしても図像学としても認知心理学としても殆ど専門的な考案や設計を経ていない、いわば著者と編集者と DTP オペレータなどが適当に話し合って作っただけのガラクタだからである。はっきり言えば、元雑誌編集者としても、それからプロのウェブ・デザイナーとしても、日本の通俗本に掲載されているイラストや図表はゴミであり、編集者の無能を示す名刺のようなものだと言っていい。たかだかアルバイトとして2年ほど雑誌の編集に携わっただけの、当時19歳の僕にすら鼻で笑われるようなレベルの代物だと言ってよい。どこの大手出版社なのかは違うにしても、せいぜい恥を知るといい。
そして、そういう馬鹿げた図表を著作物に掲載してしまう大半の理由は、もちろんそれを著者自身がきわめつきの素人あるいは無能として描くからだ。一例として、京都学派などの妄信者には気の毒だが、田辺元氏の『哲学の根本問題 - 数理の歴史主義展開 田辺元哲学選III』(藤田正勝/編、岩波文庫、2010)に掲載されている落書きを取り上げよう。敢えて「落書き」と呼んだのは、認識論、存在論、倫理学を横並びにして、なおかつ認識論と倫理学を「対極」に、そして存在論が両者の「中間」にあるような、はっきり言って哲学的にはナンセンスとしか言いようがない図を平気で描いているからだ。こんなものは学部生が講義を聞きながらノートへ描いていてすら、教員に見つけられたら「なんだこりゃ?」と破り捨てられるような類のものと言ってよい。もちろん、僕が教員なら、「哲学概論」の体系的なスケッチとして、こんなものをレポートに描いてきたら落第である。