2018年04月30日に初出の投稿

Last modified: 2018-04-30

こういうことになるわけよね

ここ数年と言っても5年以上は前からのことかもしれないが、歴史あるいは評伝の翻訳書で分厚いものがたくさん出版されるようになってきたという印象が強い。分厚いどころか二分冊を越える場合もあって、読破するには(たとえ文庫本ですら)1万円を上回るコストがかかる場合もある。なので、僕はもう歴史とか評伝の分厚いタイトルは図書館でしか借りなくなった。

それに、『やちまた』は例外と言っていいくらいで、評伝というものは、その人物に特別な興味でもない限りは、一度読めばいいと思うのだ。過去の人物や彼らの事跡に学ぶべきことは、一人に大量のポイントがあるかもしれないが、それだけを知っていれば歴史を学んだことになるなどという安易な発想は、そもそも「ヒーロー・ヒロイン史観」とも言うべきもので、必要条件を十分条件と取り違えているだけでしかない。しかも、場合によっては有名な歴史上の人物といえども、その存在は大きな出来事が起きるにあたっての必要条件ですらなかった可能性もあるのだ。例えば、徳川慶喜という人物がいなくても日本は開国してただろう。

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