Scribble at 2021-07-06 10:15:47 Last modified: unmodified

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A scalable, evidence-based approach to constructive dialogue

OpenMind

YouTube で privacy preserving AI というプレゼンをしていた人物が紹介していたプロジェクトだ。異なる意見や信念あるいは信仰をもつ人のあいだで対話を成り立たせることは、もちろん或る意味では簡単だとも言えるわけだが(そういう衝突事案を共有しない生活や関わりかただけなら)、たいていは難しいことだと言える。家族や同僚や同級生のあいだで、政治的な意見だとか自分が良いと信ずる価値観や生活習慣の違いが相手に不快感を与えたり、あるいは相手に侮蔑されたとか軽んじられたと憤慨させるきっかけになる可能性だってある。

このような状況で、日本の安物社会科学プロパーが軽口で新書やオンライン記事に書いている「熟議」だの何のという戯言は何の役にも立たない。こうした人々は、フランスのカフェでサルトルらがスタリリッシュに哲学を語っていた伝説的な原風景に、50年以上が経過しても引きずられているからだ。現に、こうしたアホどもが必ず決まって持ち出す道具が知的に洗練されたという意識高い系の「市民」というパワー・ワードだ。こんな人間は、実際には社民党支持者の頭の中や評論家が原稿を書く紙の上にしか生きていない。

したがって、われわれが(まったく機械的にというわけでもないが)採用できる対策なりプランは、まずわれわれ自身の考え方や話し方に起きる錯誤なり錯覚なり思い込み、あるいは端的に言えば無知や情報不足を是正するだけの準備を整えることだ。気に入らないとなれば腕を振り上げるような者を、どうやって席に座らせるのかが重要である。僕が PHILSCI.INFO で何度か書いたように、ヤクザの事務所やアフガニスタンの戦場で哲学を啓蒙できるかと、philosophy for everyone を唱導している人々やら、あるいは安っぽい子供や主婦向けの哲学セミナーをやってる連中に言っているのは、全く同じ理由である。

なお、上記のサイトで試しにユーザ登録すると、gun control や healthcare のような話題について、幾つかの質問が繰り返される。200 words くらいで自分の意見を(もちろん英語で)記入する質問もあるので、それなりに丁寧にユーザの複雑なスタンスを収集しているらしい。ただ、いつもこの手の右だ左だというテーマに思うのが、どうして政治的な意見とか信念を1本の数直線上のスペクトラムとして分布させられると思っているのかということだ。もちろん年齢や時勢によって意見が変わる可能性もあるため、点として分布させた次元に1次元を常に追加する必要があるとは思うが、それを差し引いても三次元に収まるという根拠だってない。指標となるゲージがベクトルとして、「左」だの「右」だのというベクトルと並行である保証などないのだ。

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