Scribble at 2026-07-30 09:24:30 Last modified: unmodified
"spatial justice" という用語がある。このところ、"epistemic justice" だとか、こういう woke 系というかリベラル的なニュアンスの言葉がやたらと出版物でも使われるようになり、もちろん大状況としてはトランプ政権や EU 圏での極右政党の躍進などに対する反発でもあろう。ということで、この "spatial justice" という地理学の用語を調べてみた。
中学生になって地理という教科を学び始めてから気づいたことだったが、土地の用途だとか地形だとかをひたすら解説しているけれど、結局は教師の価値観で工場や住宅街や高速道路の造成について是非を論じているだけのように思えた。そもそも地形の話なら地学の授業で足りるし、土地の利用状況を個々の地域について解説されても、それは単に地形図や区分図の読み方を学んでいるにすぎない。「社会」の科目として、およそ社会科学の要件を満たしていないと思えたわけである。雑に言えば、地理という教科は「地学と地図の読み方に教師のイデオロギーを混ぜただけ」だという気がしていた。
もちろん、それをれっきとした研究分野であると称する人々もいる。1970年代以降、批判地理学(critical geography)という分野でデヴィッド・ハーヴェイ(David Harvey)らが活躍し始めてから、僕の雑感では批判地理学や人文地理学が土地の利用だとか都市計画についての批判を展開する分野であり、僕がかつて「地学と何の違いがあるのか」と困惑させられたような議論は自然地理学として展開している。そして、あまり厳密だとは思えないが、僕の印象としては、地学の方が自然地理学よりも地質学的に時間という意味でも範囲という意味でも広い変化を扱っている。たとえばプレート・テクトニクスは明らかに地学の概念だが、植林は自然地理学でしか扱わない概念であろう。そうして、2000年代に入ってエドワード・ソジャ(Edward W. Soja)の Seeking Spatial Justice(2010年)などによって、"spatial justice" という用語が普及したようだ。
spatial justice の研究者によると、社会的な不平等、つまり社会階級や事実上の階層、不均衡な資本と所得の分配、差別などは、常に何らかの空間的な配置や分布として立ち現れるという。例えば、インフラ整備の偏り、居住地の隔離、環境リスクの押し付けなどは、いずれも不平等が空間化した結果だ。こういう状況に対して、spatial justice を求める立場からは次のような三つのアプローチによって分析が行われる。
1. 分配:住宅、公共交通、医療施設、緑地などの社会的資源や、逆に公害施設や環境リスクが、空間的に公正に分配されているかどうか。
2. 手続:都市計画や土地利用の意思決定プロセスに、地域住民や弱者が透明かつ包括的に参加できているかどうか。
3. 承認:多様なアイデンティティや歴史的・文化的背景を持つ人々が、都市空間の中で可視化され、排除されずに尊重されているかどうか。
もちろん、こうした spatial justice の対象は国によって異なる。造成・設置が喜ばれるようなインフラや施設ならともかく、一般的に忌避されるような施設だと、日本の場合なら、もちろんアメリカ軍や自衛隊の基地、原発と核廃棄物の保管施設、ゴミの集積所、刑務所などが考えられる。局所的な地域の話に限ってなら、宗教施設、ヤクザの事務所、民泊施設、保育園、それからラブホテルなども周辺の住民とのあいだで問題になり、得てして低所得層の地域や危険な地形の地域、あるいは歴史的な経緯などがあって土地の評価額が低い地域(どういうところの話をしているかはお分かりだと思うが)に造成されたり建築・設置される傾向にあるのだろう。逆に、いわゆるジェントリフィケーションという現象によって、その地域の(主に観光資源や産業用途としての)価値が高くなって評価額が上がりすぎてしまい、古くから住んでいた人々が固定資産税や相続税を払えずに土地を追われるということも起きる。