Scribble at 2024-11-19 22:07:06 Last modified: unmodified

僕が「ロハス」だの「自然」だのという稚拙で未熟な観念を弄んでいる連中に胡散臭いものを感じるのは、それらが人為的あるいは文明とは隔たりのある何かだという思い込みに対してだと言っていい。僕は、ほぼ今年に入ってから「人類史スケールの保守思想家」であると公言しているけれど、それはつまり人類史のスケールで言えば、われわれは実際のところ本能とか自然とかいうものに抗ってきたスタンスを守るという意味でもある。人類史の大半は文明をもたない、殆ど猿みたいな生物種としての生活なり生存ではあったが、僕はまさか猿の生き方に戻ろうなんて主張しているわけではない。そもそも、「思想」というものが成立しない知性の段階においては、僕が守るべきものなどないのだから、そんな猿みたいな段階まで広げて「人類史」と言っているわけではない。どちらかと言えば、東大の左翼教員が振り回す「人新世」なんて言葉を使いたくないだけの事情で「人類史」と言っているだけのことである。ちなみに、人新世という言葉は地質年代の用語となるべく提唱された経緯はあったのだが、圧倒的多数の地質学者によって否定されている、単なるイデオロギー用語にすぎない。

そもそも、僕らがこれだけ多種類の動物や植物などを摂取しているという事実だけで、既に2,000年ほど前の人類と比べて膨大な種類の食べ物を口にしているわけであって、これだけでも既に自然に抗うスタンスで生活・生存していると言える。仮に、2,000年前に食べていた種類の食材しか口にし続けていなかったなら、多くの国では栄養失調などで国家規模の滅亡に近い人口減少が起きていたのではあるまいか。

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