Scribble at 2024-04-15 18:44:11 Last modified: 2024-04-16 07:48:27
正直、格好の悪い話だと思うね。たとえば、引退してから芸能と完全に没交渉だった上岡龍太郎師匠とかと比べても往生際の悪さというか、非常にみっともない。「ファン」から「私たちはどうすればいいの」と言われたっていうけど、この「ファン」にしても身勝手な話だ。場合によっては職業選択の自由(仕事を「止める」ことも職業選択の一つだ)に反する、人権侵害とすら言いうる。スメラミコトを皇室典範で縛り付けているのと同じだ。この国って、こういう下からのファシズムがあるから嫌なんだよね。
僕はそもそも、むかしから "No music, no life" というスローガンが大嫌いだ。人の生活、つまりは心持ちに余裕がないといけないという意味で、エンターテインメント全般に効用があるという意味なら分かるが、曲や歌、ましてや芸能界が必要だみたいなのは、まったくもって馬鹿げている。米津玄師がいなくても誰かが歌を歌うし、サザンオールスターズがなくても誰かが曲を作る。音楽という文化がある限り、録音機器の業界、ストリーミング通信の業界、そして芸能界なんてあってもなくてもどうだっていいクソである。そんなクソなんてなくても、僕らは頭と口さえあれば歌を作って歌えるし、手拍子や口笛でも曲を演奏できる。そしてさらに、人類に音楽という文化が全くなかったとしても、他に色々なエンターテインメントで喜んだり感動したりするチャンスなんていくらでもあるのだ。ということで、エンターテインメントそのものの効用や価値は疑うべくもないが、個々のジャンルに文化としての必然性などありはしないのであって、音楽だろうとゲームだろうと歌舞伎だろうと、「そういうもの」「芸能」「興行」という節度は必要である。
なので、橋幸夫氏の生の歌声が聴けなくなると残念だと言うのは分かるが、あなたの生活や人生ってそれしか無いの? という気がする。それだけにたよって年金なり財産を使い果たしたら満足なのかもしれないが、そういう人々がいて、そして実際に他人を動かしてしまう影響力があるということを、後の世代の人々に実例として見せてしまうということの害悪について考えると、どれほど凡人であり他に生きる意味がないといった言い訳を言っていようと、やはり「もうすぐ死ぬから何をやってもいいんだ」みたいな態度は困る。(もちろん、これらの「ファン」は橋幸夫氏と同年代の人々であろうという仮定を置いているが、これは間違っていまい。もし30代や40代でこんなことを80代の人に言ってるなら、それこそ大きなお世話だし、或る種の老人虐待であろう。まぁ、もっと下の世代、たとえば Z 世代とか言われてても、その中にだって「戦場で死ぬのが本望」みたいなマッチョもいるかもしれないわけだが。)