Scribble at 2023-09-23 18:49:19 Last modified: 2023-09-23 19:08:11

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Sidenotes In Web Design

この人のサイトは、いつアクセスしても色々な作り込みや仕掛けがあって関心させられるんだけど、MD とか PHILSCI.INFO に取り入れるようなものがあるかというと、はっきり言ってない。タイポグラフィは欧文であることを前提に組んであるから、やはり日本語の組版には合っていない(というのが DTP では常識だ)し、他の注釈とか改訂履歴の色々なポップアップとかデータの表示も、正直なところ他人にこれだけ見せる意味があるのかという気がする。たとえば、当サイトで公開してる論説の改訂履歴なんて、誰が見たいだろうか。そんなのは改版履歴を細かく知らなくてはいけないほどの大思想家でもない限りは意味がないと思うのだが。それとも、その手の些末な記録が大好きな社会学者の悪影響でも受けてるんだろうか。僕は岩波書店から『河本孝之著作集』なんて出版されるような哲学者でもないし、そもそも岩波から頼まれてもお断りだ(竹尾先生の著作集を出すから何か書いてくれというなら考えないでもないが、まぁ竹尾先生は『正論』とか『諸君』に文章を書いていたこともあるし、岩波は無理だろう)。つまり、そんなことを気にする必要があるような著述家であるという自意識でも無い限り、そんな些末としか言いようがない改版履歴なんてものを他人に見せる必要はないと思う。正直、これは僕には「中二病デザイン(設計という意味での)」としか思えない。

それに、僕はリアリズムという点から言っても、いまのウェブなんて50年先には存続していない可能性が高いと思っているので、コンテンツを仮に Internet Archive にでもキャッシュしてもらったとして、そのキャッシュ先も含めてウェブなんてものは消失している可能性が高いと思う。理由は、いまでも進行していると言えば進行しているわけだが、ネットワーク接続としてのインターネットは世界中に行き渡っているけれど、コンテンツは明らかに三つの意味で分断されてアクセス不能になると思うからだ。つまり言語という障壁に加えて(大半の日本人は、ヒンズー語のサイトなんて死ぬまで一度も見ない)、政治という障壁によって DNS や ISP が規制されている以上、通信はできてもサイトは分断される可能性が高いし、更に加えてウェブサイトへアクセスできているとしても、そこに表示されるコンテンツは各国の事情に応じてフィルタリングされているし、実際に政治的な理由がなくても X や Facebook なんて間引きがあるのは昔から知られている。(よって、もう東北の震災の頃から言ってることだが、私企業の SNS を、いくらユーザが多かろうと国や地方公共団体の情報媒体として使うなんてのは、たとえそれが全員の役に立たなくてもいいとしても、僕は愚考だと思う。ましてや佐賀県武雄市の元キチガイ市長がやったようなことは、はっきり言って地方自治法第一条二項違反だと言いたい。なぜなら、あんなことは行政サービスを特定の私企業へ丸投げしているに等しいからだ。私企業のサービスに情報発信を委ねることは、「地方公共団体の自主性」を大きく損なう。SNS に依存するということは、同じ私企業のサービスであっても郵便の配達などとはぜんぜん違って、運営会社の恣意的な運用に任せることなのだ。)

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