Scribble at 2023-12-26 12:16:17 Last modified: unmodified

添付画像

「スマホで流行るゲーム」が結局ゲームデザインを大きく制限したように、プラットフォームの都合でゲームスタイルが制限される、これはゲーム文化にとって大きな損失だとおもいます。売れれば正義とはいえ……。

 これ、Switch が爆売れしているのでまだまだ大丈夫に見えていますが、もし Switch が五年前盛大にズッコケてたりしたら、早々に PC とスマホ向け以外ゲームが売れなくなってコンシューマは死んでいたんじゃないかな、とよぎることもあります。

ゲーム開発者から見た PlayStation のヤバさ

確かに、スマートフォンのゲームって、どれほど美麗になっていようと画面が小さくては大してインパクトないんだよね。そのくせ、やってることはどこもかしこもガチャばっかで、SDK でキャラや世界観を替えてるだけという気もする。本質は、要するにその中でキャラが使ってるスケベ水着なんかのガチャでしかない。傍から見れば、まさにビジネス・モデルの生体部品としてスマートフォンに入れ込んでるという人々が世界中にいて、その中でやりとりしてることを「コミュニケーション」だの何のと言ってるけど、その隣では現実に人同士が殺し合いをやってるわけだよね(一応、ロシアは日本と国境を接している「隣国」だ)。政治や経済あるいは文化という大きな状況に支えられて(つまりは支配されて)やっと維持できているだけのネットなりウェブを「所与」だと考えるのがデジタル・ネイティブだとすれば、そんな連中は一部の裕福な国で生活しているだけの人々であり、ガキだろうと成人だろうと関係なく未熟という他にない。したがって、スマートフォンだろうとコンシューマの筐体だろうと、プラットフォームうんぬんというだけの話にとどまらず、いったい自分たちが何をしたいんだろうと、この記事の著者のように、少し高台に登って考えるような癖をつけることも必要だ。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る


※ 以下の SNS 共有ボタンは JavaScript を使っておらず、ボタンを押すまでは SNS サイトと全く通信しません。

Twitter Facebook