Scribble at 2023-01-13 10:41:12 Last modified: 2023-01-13 10:45:42

かつて CHEEPER というツイート風の表示をフロント・ページに掲載していたのはやめて、いまは手動で index.html を編集してアップロードするようにしている。なまじっか CMS をホイホイと実装できるスキルがあると、つい簡単に書ける方法を用意してしまい、それなりに顰蹙を買うようなことを書いてしまうので、敢えて手動で更新しないといけないようにしてあるのだ。中二っぽい喩えになるが、かつて『ジャスティ』という超能力者の漫画があったけれど、強大過ぎる超能力を敢えて抑えるカチューシャを付けていた主人公のようなものであろう。

それはそうと、ここ最近は誰かの文章とかツイートを引用しているのだけれど、さきほど更新したとおり、考古学では意外に著書の中で皮肉や非難を堂々と書いている人が多いことに気づく。いま掲載しているのは、『日本の考古学(上)』(河出書房新社、1966)収められている、岡崎 敬氏の「三世紀より七世紀の大陸における国際関係と日本」という論説に出てくる一節だ。これの前に掲載していた森浩一先生の文にも見られるように、まだ1960年代でも日本の考古学界には素人や新聞記者や物書き同然の稚拙なファンタジーや思い込みで議論する人がいたことを物語っている。

これは、昨日の落書きで取り上げた、将棋のタイトル戦で下らないコスプレをさせられているのと同じような話だと思うが、事業や研究活動が行政なりマスコミに依存していると、どうしてもかような文化芸者としての裸踊りをせざるをえなくなる。いや、それどころか大学でも似たようなことはあって、安易に元新聞記者や芸能人や大企業の経営者を客寄せパンダとして教授に迎えたりするといった「マーケティング」で、大学は自らキャバクラみたいなものになっている。いや、キャバ嬢の方が偏差値70ていどのクズみたいな大学の学生よりも外国語とか資格試験とかの勉強をまじめにやってる人が多かったりするわけだ。しかし、そうやって凡俗というのは凸凹がありながらも平準化するのが道理であって、そういう業としか言いようがないドロドロとしたものから、学術や知識に関わるものは機会があるたびに足を抜かなければいけない。もともと、学問を志すにしろ、何かの専門職を志望するにしろ、われわれはそういうところで生まれ育っているからだ。僕がこうして色々なことを敢えて書いたり紹介しているのは、もちろん僕も機会があればこうして自分で自分に向かって諭す必要があると感じるからだ。

学問という営為は、もちろん生物としてのヒトにとっては不自然きわまりない活動である。しかし、それゆえに学問へ携わることは主観的にすぎないとは言え、自然の無慈悲な摂理や死すべき運命への抵抗である。確かにそういう抵抗の仕方は学問に限らないのであり、スマートフォンでゲームに没頭することだって生き物としては不自然な、したがって「人間的な」振る舞いでしかあるまい。よって、ゲームよりも学問に打ち込む方が何か高尚だとか素晴らしいなんていう、それこそ悪い意味でのアカデミズムを僕は持ち合わせていない。極端なことを言えば、アダルト男優だろうと政治家だろうと線形加速器の技師だろうと、やってることは哲学的に言って同じである。

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