Scribble at 2025-02-13 12:38:06 Last modified: 2025-02-13 13:59:00
昨日は出社して、昼休みにジュンク堂で電気工事士や電気・電磁気学の棚を眺めていた。中学時代に理科で電気を習ってから、夏休みに問題集を1冊まるごと仕上げたりといった修練の記憶しか無くて、どうも自ら興味や関心をもって学んだ記憶がない。それでも、コンピュータに関わる仕事に携わるようになってからは、やはりコンピュータの原理は電子回路であるからして、基礎的それから原理的な勉強から再び始めておきたいという意欲が出てきた。加えて、科学哲学の教科書を構想して目次の構成に手を入れているので、単に電磁気学の話題をケース・スタディとして引っ張り出してくるような、凡庸でくだらない科学哲学の業界話を書くくらいなら、しっかり学部レベルていどまでの電磁気学、そしてそこからコンピュータの原理やコンピュータ・サイエンスやネットワーク・せキュリティなどの話題までを解説しきって、その上で哲学として考えたり学ぶべきことを見出すという、ごく自然な道筋を教科書の中で準備する(もちろん、そのように ready-made な軌道に乗る義務も必要もないが)方が、天下り式に科学哲学の業界トークを聞かされているような違和感は少ないであろう。
という、壮大な予定だけはあるのだが、その第一歩である電気について説くのも難しいことではある。実際、専門書の棚を見た後で高校と中学の受験参考書の棚も眺めてみたのだが、中学2年の参考書ですら、いきなり静電気やクーロンの法則を議論していて、そもそも電気とはどういうものかという切り口すら用意されずに話が始まるという状況だ。これでは、天下り式に勉強しているだけという印象が中学から拭えないのも当然であろう。たとえば、静電気の話から始めるにしても、静電気の発見から電磁気学の歴史が始まったという説明がなければ、読まされている方はいきなり静電気の話をされるだけとなってしまう。エボナイトの棒を衣類にこするなんていう、誰が考えても理科の実験でしかやらないようなことで説明を始められてもしょうがないのである。
さて、そのようなわけで参考書として標準的なのが、大学のテキストや資格試験のテキストである。だが、僕はテキストとしての完成度が高いのはどうしても資格試験のテキストだと思う。大学のテキストは、やはり教育者としては素人の大学教員が書いているし、それどころか大半の教員は学生の理解度を測る方法も知らなければ、そもそも理解度を気にしてすらいない。そういう連中が書く、メモ帳やノートの単なる活字化に等しい書物よりも、相手の反応を考えて、それなりに売れ行きや合格者の声というシビアな指標がある資格試験のテキストの方が誠実かつ丁寧に書かれていると思う。学術的には精密さが足りなかったり、体系的でない部分があったりするかもしれないが、そんなことは学術研究者としての視野をもっている僕自身が補えばいいだけのことだ。
すると、電磁気学について初等的な事項を教えている分野と言えば、「工事担任者」や「電気主任技術者」や「電気工事士」といった資格が該当する。そして、それぞれ「工事担当者第2級」や「第三種電気主任技術者」や「第二種電気工事士」が最も初歩的なグレードの資格になっているので、対応するテキストを眺めて、上の一冊を買い求めた・・・が、実は「デジタル通信」のテキストだと思って「アナログ通信」のテキストを間違って買ってしまったのである。しかし、これは大きな問題ではない。なぜなら、もともとアナログ通信である電話についても原理に興味があったからだ。それに、工事担任者の第2級についてシラバスを調べると、デジタル通信とアナログ通信では学習内容が殆ど同じなのである。テキストも、電気回路、電子回路、論理回路、伝送理論、伝送技術といった通信技術の基礎にあたる事項は共通であり、共通事項を学ぶ「総合通信」という分野すらある。なので、どちらを選んでも大差はない。あとからデジタル通信については、わずかな事項を追加で学べばよいだけである。