Scribble at 2023-06-24 08:07:37 Last modified: 2023-06-26 09:08:53
たとえば、「通俗的なレベルで進化論を多くの人が知ってるからといって、それがなんだというのか」という議論はできるんだよね。でも、社会科学としては影響をはかるのが難しい。同じく、いっとき馬鹿みたいに通俗本や解説記事が乱造された、例の宇宙際タイヒミューラー理論にしても、あれを無理矢理に通俗化したところで、それを読んで感動した小学生がのちにノベール賞を受けるとかいう偶然があったとしても、社会科学的なスケールで言って、そんなことを想定したギャンブルのようなアウトリーチなり出版活動って、いったい人の文化なり事業としてどういう意味があるんだろうと思ったりする。
もちろん、こういう活動に全く何の意味もないとか、あるいは何か別の個人的な動機で冷笑しようなんて意図はない。しかし、やはりどうも日本の出版・報道関係者は「知らせる」とか「報じる」とか「教える」ということから啓発・啓蒙という観念についても非常に平板に扱われていて、それらの観念すら通俗化された理解でしか携わっていないような気がする。そら、君らプロパーは酒場では色々としゃべってるんだろうよ。僕も大学や大学院での懇親会などでは色々と見聞きした。でも、やっぱり新橋でくだを巻いてる上場企業のクズみたいなサラリーマンと同じで、結局は口先の会話にすぎない。血肉になっていないという気がする。