Scribble at 2024-10-30 17:34:58 Last modified: 2024-11-03 08:29:36

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New law, letting people cross street outside of crosswalk, ends racial disparities in enforcement, council member says

‘I’m walking here!’: jaywalking legalized in New York City

僕はアメリカ合衆国という国について、社会科学という学問としても、それから社会政策という行政としても、ぜんぜん先進的でもなければ正しくもないと思っていて、アメリカの社会科学者の本をありがたがって読んでる日本の社会科学者の多くは、要するにヨーロッパのポストモダニズムを消化する能力がないのを誤魔化してアメリカの社会科学を「こっちのほうがナウい」と思い込んでるだけだと言いたい。つまりは、自分たちの無能さを誤魔化したり免罪するためにアメリカの社会科学を持ち上げてるだけの自己欺瞞に陥ってると思うんだよね。だから、いつまでたっても国際的なスケールでの業績をまったく出せないんだ。日本の社会科学者というのは。なので、高校生の諸君は社会学や経済学や法律学について学ぶなら、もちろんアメリカの実は低レベルな業績を追いかけるだけの日本人なんてのは無視するほうがいいのだけれど、だからといってアイビーリーグに入ればいいかと言えば、それはあまりにも安易だと言いたい。ただし、ドイツやフランスの大学に行けばいいというものでもないわけで、僕は日本の学者が思ってるほどアメリカの社会科学はヨーロッパやアジアに比べて高度でも先進的でもないと言っているだけなのであって、彼らアメリカの社会科学者が無能だとは言っていない。

というわけで、たとえば上の記事の事案などは、アメリカで起きていることが必ずしも先進的だったり、ましてや正しいとも限らないという実例になると思う。マイノリティの杜撰な生活習慣を、まるでダイバーシティとして尊重すべきことであるかのように扱って、信号無視や jaywalking(横断歩道でない道路を渡ること)を合法化するなんてのは、僕に言わせればリベラルでもなければ正しくもない愚行だと思う。これは古くからだと思うけど、そういう愚行や堕落した振る舞いを "culture" だと言ってのけるようなイージーさがアメリカ人にはあって、こういう口先だけの多様性みたいな処世術が蔓延しているように感じる。そういう状況を反映してか、アメリカの社会学者というのは、日本の社会学者が AV 女優のケツを追いかけてるのと同じように、ギャングやチンピラのやってることをあまりにも安易に「文化」として扱う傾向があって、僕はアメリカの社会科学者の限界というか欠陥の一つに数えている。これは保守の人間として言うのだが、そんな愚行に学者として記録したり解釈して尊ぶような価値などないのであって、人を抹殺する必要はないとしても、さっさと教育や別の習慣、そしてもちろん法令なり規制によってオーバーライドして消し去ってしまえばいいのだ。愚行を放置する言い訳としての「多様性」などというのは、僕には人類として自滅的な価値観だとしか思えないね。

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