Scribble at 2023-06-07 09:47:16 Last modified: unmodified

マーケティングは山師や素人の巣窟と言ってよい。残念ながら。もちろん、残念だ。あくまでも、そういう連中は「インチキ」という前提があってのことで、もちろん僕もコトラーくらい読んでるし、マーケティングの正統で妥当な議論なり効用というものは知っているつもりだ。しかし、日本だけに限らずマーケティングという分野には、あまりにも無知・無教養で未熟で不見識な人材が集まり過ぎると思う。これはひとえに、食事や医療や教育や政治や寝小便と同じで、人であれば誰でも関われる話題だという錯覚があるからなのだろう。特に、営業畑の人間が「ものを売る活動だから営業と変わらない」という重大な思い違いをして、イージーに転職したり関わってくる態度は、いちおう幾つかの古典的な著作を読み通している人間としては不見識極まりないと思う(逆の極論を放り投げてよければ、営業なんてマーケティングを知らないからこそ気楽にやっていられる仕事なのだとすら言える)。

ということで、巷に溢れている困ったマーケティング屋どもには、共通の特徴がある。そして、それを「共通の特徴」だと門外漢に言われるほど分かりやすいことなのに、クズのマーケティング屋というのは、クズであるがゆえに分からないふりをしてスルーしたり、自分には分からないか、自分には該当しないという自己催眠や自己欺瞞に浸り続ける。だが僕らに言わせれば、それこそが皮肉にも悪質なマーケティング屋を見分ける一つの分かりやすい特徴なのだ。彼らはマーケティングについて、あるいはその業界とかマーケティング屋について言われていることを、まるで自分には当てはまらないかのように、常に他人事であるかのように扱うのである。

では、クズのマーケティング屋に共通の特徴は何か。簡単に言うなら、それは「自分たちで売っているものを自分自身では使わない」ということだ。これは、自社製品を使わないという意味ではなく、テストしないとか、あるいはリリースした後にフォロー・アップしないという意味だ。つまり、自分たちが何を作って売っているのかに、マーケティング屋というのは実は興味がないのである。その証拠に、インチキなマーケティング屋であればあるほど、自分たちの商品について語るときに、すぐに抽象化する傾向がある。彼らにとっては、そもそもコンセプトやアイデアとして抽象的なところから出発して形になった商品が市場に送られたら、それでよいのである。それが具体的にどういう商品として実装されたり製造されるかには、実は彼らは殆ど関心がない。したがって、彼らは商品開発にあたってプレゼンしていても、単に「顧客満足度」だの「QOL」だの「生活者」だの「SDGs」だの「ダイバーシティ」だのという抽象概念を振り回すだけなのである。

よって、彼らインチキなマーケティング屋にとっては、オンライン・サービスを開発したりデザインするときのユーザビリティテストや消費者インタビューやペルソナ云々といった工程や計画や設計のフェイズは、ただのアリバイ工作でしかない。多くの企業では、"privacy by design" とか "mobile first" といったスローガンでも、こうしたアリバイ工作が繰り返されている。そもそもマーケティング屋に UX や情報セキュリティの知識なんてあるわけないし、彼らにとって UX 設計だとか個人情報保護なんてものは、自分のアイデアを市場へ送り出すに当たっての「必要悪」や「ハードル」にすぎないわけである。彼らにとって最も重要なのは、自分のアイデアが形をとって市場へ展開されて、その企画や開発をリードした人物として『ブレーン』や『販促会議』で取材を受けたり業界のアワードで受賞することだけである。したがって、こういう人物にとっては全てが結論ありきであるため、実際に世の中へリリースされたオンライン・サービスやウェブサイトが、広告だらけで、証明書のエラーを吐き続けたり、ウイルスに感染したり、細切れになったコンテンツばかりでビジターをイライラさせようと、そんな些末なことはどうでもよいというわけである。

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