Scribble at 2025-09-30 16:11:26 Last modified: 2025-09-30 16:20:41

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オープンソースに匹敵する大変革「オープンソーシャル」が徐々に広がり中、自分のデータを使い回して色んなウェブサービスを使える仕組み

一見すると素晴らしいアイデアのように見えるが、僕はそうは思わない。しょせん、いかにも React などの開発に携わていた人間の考えそうなことであり、「オープン・ソーシャル」とは、徹底して責任をエンド・ユーザに転嫁する無責任システムでしかないと思う。こういう、リバタリアン的な「自主独立」だの「自己責任」というのは、実は責任をとったり独立するためには、おまえたち西海岸の成り金プログラマと同じ程度に金と暇が必要なのだという致命的な欠陥がある。たいていの人たち、とりわけ高齢者や子供には、そんな金も暇もないのであって、しかもどういうことがオンラインでの自己責任であるかという知識すらない。つまるところ、こういうのは IT 業界の人間だけが得をするか、あるいは良いことをしたつもりになれる、「意識高い系」という名の自己欺瞞にすぎない。

JavaScript のライブラリを開発していたていどの人間にはわからないのかもしれないが、僕らがこんなコンセプトを見せられても、ウェブの多重化を伴う、「API あるいは標準化という名のロックイン」としか思えない。共通の基盤を利用することは重要だし、アプリケーション相互の連携をいちがいに否定するものではないが、SNS やソーシャル・メディアの企業というのは、CGM だの集合知だのという御託はどうでもよく、エンド・ユーザの投稿内容という資産を利用することが目的で運営されている、データ・ブローカーなのであるから、これを簡単に他社へ移行できてしまうと、少なくとも同じ仕様を共有するサービス群の中では匿名性が失われる恐れがあるし、エンド・ユーザが「データの移動」だと思っていても、実際には「データのコピー」であり、自分が投稿したデータは移行元のサービスに保有され続けるというリスクもある。

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