Scribble at 2023-05-21 09:54:29 Last modified: 2023-05-21 17:33:12

髭剃りにかかわる物理として考えてみると、少なくとも (1) 剃刀が髭を剃る仕組み、(2) 剃刀を研ぐ仕組み、そして (3) 髭を剃るときの姿勢という三つの話題が見つかる。どれも興味深いし、恐らく剃刀や替刃を製造しているメーカーでは (1) と (2) を長年に渡って研究しているだろうし、(3) についても、あまり多くは語られていないものの、他人の髭を剃る姿勢については、理容師の研修機関でも、あるいはリハビリテーション医学を研究したり講じている医療・福祉関連の機関や施設で知見が蓄積されているだろう。

少し調べれば、こんな誰でも(それこそ ChatGPT のような「腑抜け」と言っていい、実質は検索ロボットですら)分かることを、なんで髭剃りマニアというのは丁寧に調べたり熱心に議論しないのかという不思議さがある。彼らの大半がやっていることと言えば、とりわけ日本では剃刀と高級砥石の話ばかりで、結局は中途半端で知性のない成金の遊びということなのだろうか。もちろん、それでは数千年の歴史がある筈の髭剃りについて何の知恵も蓄積されずに、ひたすら初心者が入れ替わって同じようなことを繰り返すだけとなってしまうだろう。

さきほど全く違う話として、僕自身の考える「保守」という議論をしたが、ここでも同じことが言える。つまり、凡人に任せたままにしておくと、自分たち自身が何を延々とやり続けているのかということについての正確で体系的な理解すらないまま、良い事も悪い事も繰り返すだけなのだ。それらの総体があいまいに「常識」などと言われて、何の検証もされないままに言い続けられ、それどころか更に「伝統」だなどと抜かしているのが、無知無教養な右翼と呼ばれている連中なのだ。簡単に言えば、われわれのようなタイプの「保守」と右翼みたいなクズどもとの違いは、何を守ったり尊重するかという点について、自分の未熟で愚かな知性や経験だけに頼るのが右翼であり、要するに広い意味での「保身」や「承認欲求」にすぎないのである。これに対して保守は何を守ったり尊重するべきかについて、あくまでも normative な態度をとる。それゆえ、守るべきものの取捨選択が常にあり、その選択は我々自身の判断にかかっているという自覚があり、そしてわれわれ凡人にものごとを何の用意も勉強もなく正しく取捨選択できる能力などないということをわきまえているからこそ、ただの経験や「常識」なんていうものに丸投げするようなことはしない。保守とは、一つのコミットメントである。

もちろん、コミットメントだからといって、右翼のように責任だと称して自殺するような真似はしないが、きちんと過去の間違いを間違いだと認めて改めるべく努力するものだ。よって、僕らは保守と称していても、関東大震災のときに朝鮮人や中国人を虐殺した東京人の愚行を許さないし、もちろん大阪でも生駒トンネルの工事で多くの朝鮮人が亡くなったことを公に記録として残そうとしないことも許さないわけである。われわれ凡人は簡単に愚行をおかす。これは歴史の単なる事実であり、真実などと大袈裟に言う程のことですらない。僕が考える「保守」は、そういう凡人のふるまいを守ったり尊重したいわけではなく、逆に凡庸な人間の本質として愚行は避け難いという事実を認める精神を守るわけである。これは、実は左翼にも欠落している態度であり、いま述べたような意見は表面的には左翼が言っていることに似ているが、実際にはあいつらもヘゲモニーの奪取とか承認欲求が動機になっている、口先だけの連中だ。

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