Scribble at 2026-07-11 18:39:43 Last modified: 2026-07-11 20:10:05

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今日は実家へ行って台所の掃除だとか、父親と買い物に行ったり郵便局へ配達物を受け取りに行ったりした。その後は自宅へ戻るついでに、上本町の近鉄百貨店に入っているジュンク堂や文具店へ立ち寄ることがあり、今日も立ち寄ったのである。目当ては共同新訳の聖書だ。これがいくつかの判型で出版されており、どのていどの読みやすさなのかを、実物で確かめようと思ったわけである。もちろん、先に書いたとおり、オンラインで読める聖書や無料のアプリケーションなどがあるから、文字の読みやすさだけを考えたら印刷物は論外であろう。だが、印刷物には(扱いに慣れてくると)アプリよりも情報にアクセスしやすいという利点がある。なんだかんだ言っても、スマートフォンを手に取ってロックを外し、所定のアプリを立ち上げて、目次なり検索で目当ての場所までたどり着くまで、それなりの操作と時間がかかる。そしてデバイスで読む場合、確かに文字は拡大できるものの、その代償として一覧性が失われるのも困る。

といったことで、ジュンク堂へやってきたのだが・・・聖書がない。これには、やや強いカルチャー・ショックを受けた。イラストだと、探せなかったように誤解されるかもしれないが(それだけなら店員に尋ねれば解決する)、そもそも「キリスト教」の棚に置いてないこと自体、おかしいだろう。もちろん、僕はクリスチャンでもないし、ましてや狂信者ではないから、およそ書店たるもの世界規模のベスト・セラーである聖書を置くのが当然だなどとは思っていない。だが(もういまとなってゃ空しい気もするが)、「専門書に強い」という評判で業容を拡大していったのがジュンク堂だったはずなのに、いまや「キヨスク並みに通俗本に強い」とキャッチ・フレーズを変えるべきではないかとすら思える。

いずれにしても、聖書を置いてないとは呆れるね。もう上本町のジュンク堂は、わざわざ僕が足を延ばしてまで行くような店ではないということが分かった。ここへ行くなら、あと数キロだけ歩いて OCAT の隣にある難波店にでも行った方がマシかもしれない。いや、でも難波店も1回くらいしか行ったことがないので、ああいう繁華街の店には置いてない可能性があるな。それなら、いっそ天満橋店へ行くか。あそこには聖書があることを確認しているので、やはり通い慣れた店舗の方が手堅い。

ちなみに、書籍としての聖書を買うと言っても、実際にはそれほど選択肢があるわけでもない。スタンダードな聖書としては、約8割の教会や学校で採用されている「聖書協会共同訳」があって、これに三つほどサイズの異なる判型がある。文字サイズが大きな判型のタイプは、もちろんそれだけ値段が1万円ほどとなるわけで、老眼でもなんとか読めるなら、もっと小さな判型で安いタイプを買ってもいい。そして、僕らのように教養として読むだけであれば、まず家から持ち出すことは想定しないのだから、重たいかどうかは大して重要ではない。こうした幾つかの評価基準なり条件を考え併せて、最後は懐具合によるとは思うのだが、手元に置くなら置くで納得できるものを買いたい。しからば現物を手に取らず、どう決められようかというわけだ。

ということで、他にも欽定訳(の日本語訳)とか、七十人訳ギリシア語聖書だとか特殊なものがあるけれど、こんなのは神父や牧師や研究者が扱うものであろう。あと、岩波文庫などからも出ているわけだが、とにかく訳が古いし、そもそも「文語訳」なんてものもあるくらいなので、最初から読者を選んでいるのだろう。恐らくは東京大学を卒業していないせいなのか、崇高な岩波書店に勤める知の従者たちに読者として選んでもらえなかった恥辱を、死ぬまでわれわれは抱え続けていけばよいのだ。

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