Scribble at 2017-07-14 08:47:35 Last modified: 2022-09-21 09:55:43

人としては付き合いがあったわけでもないから何も言えないが、右翼としては公開討論の場にも出てきて、それなりに紳士的な人物だと思っている野村秋介さんの議論で常に引っかかっていたのは、本音を建前の優位に置くという発想だ。討論番組とかに出てくると、彼はしばしばこのレトリックを使って、従来の議論や学術研究者の成果を「本音で語っていない」という一点で引っくり返そうとするのだけど、これは僕には(気の毒な言い方だが)学問の素養がない人物に特有の屁理屈だと思う。つまり、学術研究の成果や、他人の業績を自分で活用することができないと、そういう人はママが離乳食をくれないから成長できないのだと不満を口にする。でも、学問の成果が自分にとって有益かそうでないかを決めるのは、しょせん他人ではなく自分自身であり、その結果は自分自身についてしか言えない。よって、学問と実践のどちらが尊いとか、建前と本音のどちらが正しいとか、そんなことを他人に断定することこそ、学者や生活者のどちらも無視した傲慢というものである。

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