Scribble at 2025-01-13 15:46:00 Last modified: 2025-01-13 23:23:24
日本と海外の出版社、特に大学出版局の違いというのは、マーケティングというのを真面目に考えてるかどうかにあると思うんだよね。当サイトではつねづね言ってることだけど、「マーケティング」というのを広告や販促活動だと思い込んでるのは、はっきり言って日本人だけなんだよ。つまりこれだけコトラーなんかの大部の本をせっせと全てのバージョンについて翻訳してるような国でも、実際にはそういう古典的な業績というのは、その仕事を担うべき人間に殆ど読まれていないということだし、生半可に読んだ人間の矮小な理解が「凡人スフェア」としての通俗メディアを席巻していて、要するに知性や情報の下方圧力が常にかかっている。
もちろんどこの国でも言えることなんだけど、出版・報道関係者が自覚してるかどうかによってこういう下方圧力への対応は全く違う。つまり、出版や報道関係者がマーケティングというアプローチを軽視していて、鼻くそを穿っていても新聞が数千万部も売れてるような状況においては、もうまったく彼らはジャーナリストや出版人や編集のプロでもなんてもない、ただの事務屋なりサラリーマンでしかない。そういう、ゾンビと何が違うのかと思うようなカスみたいな連中が書いている記事、そういう連中が編集している出版物、そういう連中が制作している報道番組なんかに囲まれている状況においては、或る意味でのエコー・チェインバーや負のスパイラルが起きる。つまり、集団で偏狭な考えに収斂したり、どんどん馬鹿になっていくというプロセスだ。その果てに、些末な事柄を大げさに取り上げて噴き上がり、やがては戦争に突入していくような推移が歴史において繰り返されてきたわけである。「日本」などという些末なスケールではなく人類史スケールで考える保守思想家の一人として、現今も同じような危うい状況へと移行しつつあると言いたい。
もちろん、出版・報道・マスコミの人間がまともになれば社会が良くなるとかうまくいくなんていう御伽噺を言いたいわけではない。昨今、会社の中でキー・パーソンさえ力を発揮すれば売上がいくらでも上がるだの会社を上場できるだのイノベーションが起きるだのというホラ話を「ソース理論」などと称して宣伝しているバカが増えているようだが、こういう経営学やミクロ経済学の歴史なり初歩的なグループ・ダイナミクスの知見も知らないバカの言う事など無視しよう。われわれは、そんな短絡的な社会に生きているわけではない。そんなこと、子どもでも知ってるはずだ。
話を戻すと、「こんな本を買った」という一般人の投稿を・・・X では "RT" ってどう言うのかはしらんし興味もないが、ともかく海外では出版社のアカウントで引用するなんてことは殆どしない。僕が2007年に Twitter を使い始めてから見てきた経験では、こんなことをするのは日本の出版社だけである。もちろん、これは売れ行きや反響の客観的な事実を保証していないし、その一例だという証拠すらなくて、要するにサクラやステマの可能性だってあるからだ。こういうことを出版社がやりはじめると簡単に偽の投稿を RT するようになる。つまり、海外ではこういうことを自社の出版物の宣伝に使わないという不文律がある。ここが崩壊すると公正な競争ではなくなり、インチキ広告代理店に偽の投稿を依頼できる大手が有利になるし、そういう偽の投稿を依頼するゴロツキが有利になるからだ。これは、国際的な感覚で言えばフェアな競争ではない。
ところが、日本人のように客観性よりも主観性こそが尊ばれる、それこそ大昔から「セカイ系民族」と言ってもいい愚劣な風習が根強いと、個人の感想を何でもかんでも世界で一つだけの花として無批判に尊重することになる。これは、僕が日本の歴史や社会を学んできた経験から言うと、個々人の意見や行動をそれぞれが個別に評価したり批評したり相手と意見を交わすのが単純に面倒臭いからだろうと思う。しばしば阿吽の呼吸だの黙して語らずだのと、話したり議論しないことを徳目であるかのように語り尊ぶ傾向があるが、これは要するに凡人が自分たち自身の価値観を自己正当化しているにすぎないわけである。
もうそろそろ、Z 世代だろうと後の世代だろうと、こういう愚劣な風習や思考や価値観を「伝統」や美徳であるかのように語るインチキ保守どもの言う事など脇へ置いて、どんどん自分たちの考えることやりたいことを押し進めるべきである。そもそも、そういう若者のアグレッシブな行動や意見に押し潰されるような脆弱なものを、僕は「伝統」などとは思わないので、さっさとそんな風習や価値観は粉砕されてしまえばよいのである。もちろん、滅びゆくものへの愛着なり、あるいは自分の価値観はそれで良いと考える人がいてもいいわけで、そこは議論や考察の余地がある。逆に、インチキな伝統なるものが議論や考察を圧殺してきたのであれば、同じことを新しい、異なる価値観のもとでやるわけにはいかないだろう。
ただ、こんな大量の本を買いましたなんていう暇人の投稿を嬉しがって RT してる人間は馬鹿だと思うがね。哲学者、そして数千冊の本を所蔵する最高学歴の人間としてもポジション・トークとして言うが、こんなことをこれみよがしに公開してる、自称読書家だの愛読家だのが、学問を 1mm でも前進させる業績を上げた試しなど殆ど無いし、ビジネスの世界でも新しいサービスを生み出した事例などまったくない。単なる読書で人が「賢く」あるいは「偉く」なるなんていうのは、その集積として多くの人が読書することを前提に妄想されている社会の改善なり向上にしても、全くの幻想であり錯覚なのである。