Scribble at 2023-09-23 10:58:37 Last modified: 2023-09-23 11:55:20

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大阪歴史科学協議会

大阪府内で歴史や文化財について調べたり語らっているような団体とかサークルとか公的機関を調べているのだけれど、そういう団体の多くは足元が頼りないというか、自分たちがどういう事業者のサービスを使ってるのか、歴史を専攻していながら調べる気もないのかね。無修正動画やレイプ動画で荒稼ぎしてるクズみたいな連中のサービスを使ってて歴史科学だと言われても説得力がない。

それはそうと、調べてみて改めて思うのだが、大阪というところは一般市民(つまり、大学の歴史学のプロパーや教育機関で歴史を教えている教諭あるいは自治体で埋蔵文化財を担当する職員などを除く人々)がつくる郷土史や歴史のサークルとか同好会ましてや組織として整備された団体などが、古い歴史をもつ地域であるにも関わらず他の都道府県に比べても非常に少ない。僕が言っているのは、各市町村の博物館などの「会員」とかじゃなくて、それこそ市民が集って自主的に立ち上げた集まりのことだ。こういうものが非常に少ないし、できてもすぐに立ち消えになっていくようだ。京都や奈良に比べて、同じ程度に歴史のある地域でありながら、教育機関も行政も市民も歴史とか風土というものに関心をもっていないという特徴がある。博物館などで「大大阪」だの「船場の商人」だのと騒いでいるのは僅かな人々だけであり、大半の大阪居住者にとっては大阪の歴史なんてどうでもいい話なのである。したがって、大阪で歴史に関わる団体を調べると、たいていは上記のような「歴史教育」の団体ばかり出てくる。

一つの理由は、大阪が京都や奈良や兵庫に比べて産業が大規模に発達したため、全国から人が集まってきたことによるのだろう。京都も他府県から人が入ってくる都ではあったけれど、産業と言えるほど人を短期間に数多く集める機会はなかった。これに比べて、大阪では江戸時代よりも前の頃から地方の人々が商売で居着いたり、第二次大戦後は出稼ぎで沖縄や四国から多くの人々が大阪に集まってきたという事情があって、簡単に言えば歴史なんてどうでもいい(からこそ故郷から離れられるということでもあろう)人が多いのだろう。それゆえ、いまだに「船場」というフレーズを連呼して歴史について語ろうとするのは、中央区で商売している一部の商売人だけであり、他の多くの大企業は発祥の地が船場地区であろうと見向きもしないわけである。

ということで、大阪で活発にサイトを運営したり会合を開いているのは「歴史教育」関連の団体だけということになる。なお、「歴史教育」というフレーズを簡単にかみくだけば、つまるところそれは「左翼」ということである。つまり、同和地区、在日朝鮮人、戦争責任、福祉政策、釜ヶ崎といったテーマを扱う、旧社会党のような価値観を保っている団体であり、もちろんそれ自体に是非を言うつもりはないけれど、志向として特定のバイアスがかかっていることは間違いない。よって、僕のように山畑古墳群について調べたり議論しようという人が参加しても、その手の知見を持っている人は殆どいないわけである。考古学に関して、そういう団体に参加するのは端的に言えば無意味だ。

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