Scribble at 2023-10-28 08:00:42 Last modified: unmodified

先日、全国銀行協会の傘下にある「全銀ネット」で銀行どうしの送金に関わるサーバのメンテナンスに際して、容量が不足したという原因で障害が起きたという。その障害によって、銀行どうしの送金ができなくなって、多くの個人や事業者が悪影響を被った。これはこれで今後の対策を要する重大なインシデントではあるが、それとは別に今回のような障害が全銀ネットの運用において過去の50年間において一度もなかった事故だったという点にも注目したほうがいいのだろう。リスク・マネジメントという脈絡では、これまで考えてもしなかったリスクであったという企業も多かったのではないだろうか。そして、このような事例からは、逆に全銀ネットというシステムが堅牢で安定した運用を続けてきていたとも言えるだろう。

翻ってみれば、他にも同様に堅牢で安定したサービスとかシステムというものはある。みなさんは、停電で冷蔵庫の物品が腐ってしまったという経験はあるだろうか。もちろん日本でも大規模な停電が起きている地域はあるが、大多数の方にはそんな経験がないだろうと思う。これは、もちろん日本の全ての電力会社が、胡散臭い社会科学者どもが「フクシマ」などと片仮名にして、言説とやらを展開するためのキーワードに仕立て上げようと、そんなクズ議論など関係なく電力会社はわれわれの生活を何十年にも渡って安定して支えてきているのは動かぬ事実である。それと比べて、分厚いエッセイを出版するしか能がない大半の社会科学なんて、いったい日本の社会にどういう貢献をしたのだろうか。

もちろん僕が専攻する科学哲学についても、同じことが問われて良い。いくら哲学とは言っても、しょせん学術研究であるからには、高等教育機関や出版事業といった制度が維持されなければ成立しないからだ。「哲学は紙や鉛筆すらなくてもできる」というのは事実だが、それだけだと凡人には碌に哲学はできない。やはり教えてもらったり誰かの成果を読んで学ぶことにより、哲学においては致命的なリスクである自己欺瞞を避けられるのだ。自分が哲学しているかのような錯覚に陥ることこそ、われわれ哲学者が避けなくてはならない(しかし実は避けられるとは限らない)ことなのだ。なんにせよ、たいていの者は自律・独立して哲学などできない。凡庸な者は、僕のように自覚があればこそ(僕は技術者としては有能だと思っているが、哲学者としては凡庸だと思っている。なにも「哲学者」と名乗っているからといって、それだけで優れた何かの才能があると言っているわけではない)先人なり同時代の他人に学ぶことも大切だ。そして、そのためには大学や出版業界が安定して存続していなくてはならないのである。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る


※ 以下の SNS 共有ボタンは JavaScript を使っておらず、ボタンを押すまでは SNS サイトと全く通信しません。

Twitter Facebook