Scribble at 2026-04-23 21:19:56 Last modified: unmodified
面接官はトミック氏の開発したゲームをチェックして、「なぜQueue<T>クラスを使ったのか?」と質問してきたそうです。トミック氏は従来通りCodeMonkeyのチュートリアルをコピー&ペーストしただけだったため、なぜこれを利用したのか説明することができませんでした。それどころか、Queue<T>クラスの仕組みすら理解していませんでした。
よく「巨人の肩に乗る」なんて言い方があるけれど、名も知らぬプログラマであろうと、誰か他人が先に成果を出していて利用できるというのは、技術や知識が効率的に進展するための大きな力になる。もちろん先行して成果を出した人々には一定の見返りがあってしかるべきなので、著作権や特許のような知財が認められ保護されるのは妥当であろう。そして、一定の見返りを求める権利(具体的に幾ら儲けさせるという意味ではなく)が保護された後に、それらの権利や法的な効力はなくなり、人類の共有財産として誰もが自由に利用できるようになる。オープン・ソースやフリーソフトウェアといった特殊な要件の仕組みもあるが、大きな枠組みは同じことであって、最初に先行して何かを生み出した人の功績を尊重しようというコンセプトに変わりはない。
なので、他人の成果を利用することには何の問題もないし、そもそも何事かを学ぶとか技能を習得するとは、他人の為した成果や他人の知っている情報を学んだり得ることなのだから、人類の学問や文化や芸能が発展するためには欠かせないとすら言える。しかし、そこには間違った学び方や貧弱あるいは非効率な学び方があったり、学んだとしてもそれらを間違って使ったりするという問題がある。いま生成 AI や RPA ツールなどをめぐって生じている問題の多くも、こうした技術や道具を使う側の人間の愚かさや未熟さに起因する。
これまで何度か表明してきたように、僕は人工知能が人の知性を凌駕して理解不能な段階に至るという技術的シンギュラリティなるものを信じていないが、生成 AI に過剰なほど依存して知性を自ら劣化させた人々によって、皮肉なことだが、人工知能が賢くなることによってではなく、人間がアホになることで達成される「逆向きのシンギュラリティ」と言うべきものは、既に色々な個人において起きていると思う。上の事例は、そういう危険を自覚して注意を促すという体裁の話らしいのだが、もちろん本当に同じようなリスクを抱えている人々は、こんな記事など読んだりしないし、自分のことだとも考えない。