Scribble at 2017-10-12 11:38:15 Last modified: 2022-09-22 11:59:02

評論家や物書きや大学教員が、昔から選挙に際して棄権せよと呼びかけることは多々あった。何十年前かの『朝まで生テレビ』でも、大島渚がそんなことを大声で怒鳴っていたことを覚えている(そして、「そんなことして何になるんだよ」と呆れていた自分のことも覚えている。もちろん、僕は自分が参加できる選挙では殆どの場合に票を投じている)。

今回の衆議院選挙でも、東浩紀が棄権を呼び掛けて社会科学クラスタから一斉に非難されているようだ。

ああした物書きにはそれなりのひねりというか、脱構築的かリゾーム的あるいは動物的な言い訳があるのかもしれないが(笑)、あなたも住んでる国の国政選挙なんだという切実さが足りないのだろう。実際に、これは起きてほしくないことだが、これまで投票へ行かなかった全ての人々が票を共産党の候補へ投じた結果として、共産党の議員が衆議院に100人くらい登場する可能性だってあるのだ。

僕には、なんで「勝手にやってろ」という理屈が通用するのか理解しかねる。それって、要するにどういう政権になっても「対応」すればいいだけだと余裕かましてる成金とかと同じではないの。そりゃ、自分に都合がいい政権でも悪い政権でも、岩波書店とか藤原書店あたりから幾らでも本は出せるわけだけど、取り返しのつかない政権が成立して、扶桑社しか出版社が残らなかったら、きみたちはどうするのかね。

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