Scribble at 2024-01-14 19:24:18 Last modified: 2024-01-28 19:11:03

そろそろ山畑古墳群のサイトを準備するのに、古墳あるいは古墳時代という概念を(僕は混乱した概念だと思っているが、少なくとも混乱しているという実状を)整理しておく必要があると思う。

「古墳時代」という概念が明確な定義を拒む理由の一つは、もちろん「古墳」の概念が明確ではないからだ。考古学の学界ではよく知られているが、「『古墳』とは古墳時代に作られた古い墳(墓)のことだ」という冗談があるほどだ。そして、現在では古墳の役割や用途は被葬者の墓というだけでは足りないと考えられているため、この冗談には二つの点で考古学上の問題があると言って良い。いや、それだけに限らず、そもそも古墳を基準に時代を語ってよいのかどうかという点まで含めると三つとすら言える。そして、この三つめの理由によって、僕は考古学を学んでいた頃(小学5年生から高校1年生にかけて)から「~時代」という区分には共通の観点や概念がない限りは社会科学的に殆ど意味がないという立場をとるようになった。もちろん、これは原理原則であるから、現代にまで当てはまる。「現代」などと言っても、それはいつからなのか。その区分にどういう妥当性があるのか、無条件にどのような脈絡でも当てはめられると論証できる社会科学者など、恐らく一人もいないと思う。

それに、人がやることに明快な区分とか始まりや終わりを区切るというのは無理がある。人の一生であれば、出生から臨終という区切りは可能かもしれないが、実はそうでもない。冒険家のように、いつ亡くなったのか分からない人もいるし、亡くなっていない可能性だってある。そして、過去の人物に限るだけでも、いつ生まれたのか何の記録もない人物なんて膨大な数の人がいたのだ。また、今般の教科書の改定などで話題となっているように、たとえば「鎌倉幕府」や「江戸幕府」の成立が正確にいっていつなのかは、仮に何らかの宣旨がスメラミコトから発せられたとしても、そのときをもって「成立」と評価したり呼んでよいのかどうかは、実のところ分からない。実質的な政治体制の確立という条件なら、もっと後までかかっているかもしれず、そこまでのあいだに政治体制が確立しないまま内乱状態に戻った国や時代があったら、宣旨の発行だけで判断するわけにはいかないかもしれない。ということで、墓制や葬儀の風習に関わる流行り廃りについては、何か強力なルールや法令があったわけでもないのだし、漸進的な推移で物事が移行したと考えるのが当然であろう。何月何日から古墳を作って埋葬しましょう、なんてことを当時の地域で一斉に合議したり広めて、或る瞬間に「古墳」と呼びうる特別な造成物を作り始めたとは思えないわけである。

それから、これも教科書を読んで多くの人が薄々は感じたことだと思うが、「古墳」時代と「弥生」時代とでは、時代区分の基準が違っており、前者は造営された墓の形状だし、後者は土器が初めて発見された地名でしかない。こんな全く異なる基準で二つの時代を分けること自体が、はっきり言っておかしいのである。僕は、少なくとも考古学を学んでいた約6年のあいだに、この区分について妥当な根拠を説明している専門書や雑誌論文を一つも読んだことがないし、質問してみたプロパー(大学教員、それから埋蔵文化財に関わる発掘担当あるいは博物館の行政職員など)の誰一人として、納得のゆく説明をしてくれた人はいなかった。そして残念ながら、僕は古墳時代の専門家であった森浩一先生に何度か教えを受ながら、この話題を一度も議論できなかったのが悔やまれる。(実際、これは単なる言いがかりではなく、縄文時代や弥生時代と同じく、主に使われるようになった土器の特徴を充てて「土師器時代」という名称を使った例もあるし、古墳に拘るなら「埴輪時代」と呼べる指標を導入してもよかったのである。)

そういうわけで、アマチュアが書いて公開するサイトの文章としては許されるだろうと思うので、僕はこれから公開するサイトでは「古墳時代」という時代区分は使わない予定だ。「古墳時代の中期」などと言っても、結局は基準がなければ誰にも伝わらない。人によっては、いわゆる弥生時代の「低墳丘墓」を黎明期の「古墳」として考えてもいいという人がいるかもしれないのだから、そうなってくると実は「弥生時代」は「古墳時代」に含まれてしまうことになる。つまり、大和朝廷が成立するまでの古墳時代を「弥生時代」と呼んでいたすぎないと考える人がいてもいいわけである。そうであれば、「古墳時代の中期」とは、「弥生時代」の後期のことだと言う人がいてもいいのであって、こういう混乱が生じるくらいなら、この年代を議論する時は前後関係だけを使うほうがマシというものである。本来、僕は平成や昭和であってもそう思っているので、元号に文化的な価値があることは認めるけれど、そういう次元の「保守」は僕の次元で言っている保守にとっては二次的な意味しかない。それから、もちろん西暦も人が決めた基準で年を数えているに過ぎないわけだが、少なくとも一貫した基準で測っていることだけは役に立つ。そういうことで、便宜的に色々な基準での指標は使うわけだが、歴史年代ついて確かなことは非常に少なく、仮に西暦の年で特定できることがあるとしても、それだけで他の事柄が客観的かつ絶対的な年として決まるわけではない。

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