Scribble at 2024-02-05 14:05:15 Last modified: 2024-02-05 14:13:37

添付画像

hyperextensible Vim-based text editor

色々な機会にチャンスを見つけては、Visual Studio Code の他に使えそうなテキスト・エディタがないものかと物色していて、さきほども Apple がリリースした "Pkl" っていう妙な言語のサイトで Neovim というテキスト・エディタがあることを見つけた。他にも "IntelliJ" とかが紹介されていたけれど、この手のネーミングのソフトウェアって、なんだか Java とか Delphi とかの特定言語の御用達みたいな異臭が漂ってくるから、僕は名前を見ただけで無視することにしている。

で、この Neovim というのは名前のとおり vim の発展版として紹介されているのだけれど、実際にインストールしてみると全く何がいいのか分からない。Windows 用にリリースされている、従来の Gvim と何が違うのか理解しかねる。そして、それゆえに使う気がしない。僕は Linux や FreeBSD で vi を使うときですら困惑させられることが多くて、最近は殆ど nano しか使っていない。とにかく、プログラムの画面を終了させる手順に癖がありすぎて、覚える気にならないんだよね。あとファイルのパーミションが強くて上書き終了できないときに、何のキーを押したら抜けられるのかも、いちいち覚えてないし。ていうか、vi のオライリーの本どころかデスクトップ・レファレンスすら買ってから20年くらい持ってるのに覚える気がしないんだよね。Windows や macOS のツールなら、GUI としてプログラムを終了させるアクションというのは決まっていて、何を使い始めても同じ操作でいいという安心がある。でも、CUI のアプリケーションはバラバラで、それを自由の証だとか言うやつまでいる始末だ。でも、そんなのはただの生産性の足枷でしかない。

かようなわけで、凡庸なエンジニアなんてものは、ふだんは「イノベーション」だの「クリエーティブ」だのと言ってるくせに、もっともクリエーティブやイノベーションとは程遠い、アプリケーションごとの操作手順なんてものを個別に覚えなきゃいけないなんていう生産性のない実状を、唯々諾々と維持し続けている。本質的かつ重要なイノベーションやクリエーティブのために、本質的でないところは或るていどのフォーマットやルールを決めて共有したり従うという画一性こそ、本来のテーマに専念して成果を上げるための知恵というものだよ。それが分かってない時点で、こんなバラバラな操作性に何の疑問も感じていない CUI ベースのアプリケーションの開発者というのは、真のクリエーティブなどなにほども分かっていない、コーディング小僧の上級版でしかないと思う。ビル・ジョイなんかは、当時だと他に選択肢がなかったし、彼は自分のツールを作っただけなので自分勝手な操作性を実装してもよかったのだろう。でも、それを他人に向かってリリースするという時代になれば、他にも色々と選択できるわけだし、操作性は統一していくのが筋というものだろうと思う。

いずれにしても、ルールや制約や画一性こそが、本当に必要なところで自分たちのクリエーティビティを発揮するための下支えをするのだ。これは、たとえばしょーもないイデオロギーとかを議論に持ち出して「自由を守れ」とか言いつつ生成 AI なんかを否定してる人々に対しても同じようなことが言えるし、恐らくは翻訳の作業なんかでも言える。下訳は AI にさせたらいいんだよ。どのみち、そのまま使えるわけがないんだから。翻訳というのは、本当は英語から日本語への翻訳にしたって、実は英語の才能じゃなくて、下訳を終えてからの日本語の能力が結果の品質にとって最も重要なのだ。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る


※ 以下の SNS 共有ボタンは JavaScript を使っておらず、ボタンを押すまでは SNS サイトと全く通信しません。

Twitter Facebook