Scribble at 2023-11-12 15:12:36 Last modified: unmodified

ただいま、役職者の研修で参考にするための教材として『七つの習慣』に目を通している。最初は旧訳で通読したのだが、どうも手軽に読めないので、新書版の『完訳 七つの習慣(普及版)』を書い直して、旧訳は古本屋に手放した。昨年も書いたように、旧訳にはおかしな翻訳箇所が多々あるから。この新訳にも違和感を覚えるところがあるけれど、いまのところはご紹介するほどの問題ではないと思う。

こうした書物は、何度か書いたように、実は非常に有名で大量に売れているけれど、丁寧に読んでいる人は滅多にいない。これも何度か書いた話だが、あれだけ売れた『ブルーオーシャン戦略」という本ですら、冒頭で紹介されている、ブルーオーシャン戦略で成功した(しかしコロナ禍で倒産してしまった)会社はどこなのかを覚えている人は殆どいない(正解は、シルク・ドゥ・ソレイユだ)。本の片言隻句を覚えている人なんていない、それは僕がたまたま覚えていることを引き合いにしているだけだと思う人はいるかもしれないが、では「正解は、シルク・ドゥ・ソレイユだ」と書かれて「ああ、そうだったな」と思い出す人がどれだけいるだろうか。正解を言われてすら、どういう具合に紹介されていたかを思い出す人がいない(実際、これは僕が会社で何人かに尋ねてみた結果だ)という事実は、やはり有名な本で多くの部数が売れたにも関わらず、実際には読まれていない(丁寧に、どころかページを開かれてすらいない)という推測を後押しするわけである。

よって、ビジネス書だからといっても、実際には読まれていないのだから、丁寧に読みさえすればそれなりの「ご利益」というものがあってもいいだろうと思う。だから、昨年の夏から冬にかけて80冊近くの古典的なビジネス書に目を通してみたわけであった。もちろん、その結果として大半の話題作がデタラメなものだったという結論に至っているけれど、それでも更に読み返したり精読に値すると思える本もあったし、ウェルチの『我が経営』のように読み物として単純に面白かったという本もある。そして、こうした本を読む効用というものは、もちろん自分自身の考え方や生き方や働き方の参考になるという点では、哲学書と同じであって、何もアカデミックな本だからといって哲学書の方が高尚であるとか難解であるとか価値があるなどという、くだらない意味でのアカデミズムというものを僕は持ち合わせていない。僕が「哲学者」であると自負しているのは、そういうくだらない偏見からは自由にものを考えて、そしてしかも多くのプロパーとは違って出版社や行政との人間関係や利害関係などに牽制されたり影響されることなく、発言できるからなのである。もちろん、ビジネス書がなにがしかの参考になるという同じ点において、たとえば仏教書や教典の類にも教えられることはあろう。

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