Scribble at 2024-02-24 09:26:46 Last modified: 2024-02-24 09:31:14

出版・報道・報道・広告の業界というのは経営や運営の事情が非常に複雑で、なるほど新規参入が難しい(そして、信夫くんのようなリバタリアンから常に前時代的な業界として批評される)。特に、これらの業界はイデオロギーと関係があって、ご承知のように戦前も戦後も色々な媒体で世論を誘導したり、あるいは「マーケティング」と称するさまざまな施策を経営陣、出資者、あるいはスポンサーの意向なり続けてきている。

しかし、資本関係などを調べると、必ずしも特定のイデオロギーと特定の媒体あるいは企業とを単純に結びつけることができない。したがって、マスコミ関連企業とイデオロギーとの結びつきは、表面的な印象ほど強固でも本質的でもなく、敢えて言えば経営方針や経営陣が抱いている別の種類の動機や事情や欲望によって変わる可能性もあると思っておいた方が賢明なのだろう。

たとえば、フジテレビと言えば保守反動の報道媒体だという常識があるし、テレビ朝日と言えばリベラルや左翼の報道媒体だという常識があるけれど、両社の出自を調べると、どちらも旺文社を創業した赤尾好夫氏(『英語基本単語熟語集』、通称「豆単」の著者でもある)という人物が手掛けたテレビ局である。そして、この赤尾氏は公職追放の処分も受けている右派の人物でありながら、テレビ朝日の社長と会長も勤めていた。ということなので、しばしば「右翼が経営して左翼が記事を書く朝日」などと言われたりするが、そういう不整合や逆説などは歴史的な観点で言えば大して重要なポイントでも問題でもないのだ。実際、朝日新聞は第二次大戦中は最も国威発揚に貢献した、産経新聞の記者も逃げ出すような軍国主義の新聞だったわけで、つまるところマスコミ関連企業がイデオロギーを看板にしているかのように見えるのは、それこそ彼らマスコミ関連企業が得意としているフェイクだと思ったほうがマシであろう。

こうしたことは、別にシニシズムでもなんてもなく、皮肉にもマスコミ自体がここ30年くらいの視聴率競争を繰り広げているうちに、僕らに印象付けてしまったところがある。その一つの事例は、やはり局アナを芸能人なりタレントとして扱うような風潮であろう。そして、このところ多く見られるアナウンサーの独立によって、元フジテレビのアナウンサーがテレビ朝日でリベラルなコメントを発したり、逆に TBS のアナウンサーがフジテレビの報道番組でネトウヨ発言を繰り返すといった、素朴な視聴者を混乱させるような事態が起きている。けれど、もともとアナウンサーに思想やイデオロギーなんて不要なのであって、恐らくあと10年以内には局アナなんて不要になる(既に NHK は報道の一部に AI の合成音声を利用している)くらいなのだから、原稿を読み上げる人材として何を発話していようと構わないであろう。特定の人物が特定の見識や思想的な背景があって、そのように報道しているなどというのは、そもそも最初からアナウンサー個人ないしアナウンサーという職能に対しては錯覚なのである。(ただ、気の毒なことに日本でもアメリカでもアナウンサー自身が自分たちを「ジャーナリスト」だと錯覚していることが多いという別の問題もある。つまり、当事者がそもそも自分の仕事を「アナウンス」だと自覚していないのだ。)

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