Scribble at 2026-10-06 08:55:53 Last modified: 2026-10-06 10:25:48
「A は B の原因である」という因果関係の向きを、時間の前後関係や介入概念を持ち込まず、観察された事実のブール論理的な規則性だけから決めることはできるのか? というテーマがある。このテーマを理解するには、まず著者たちがどのような因果関係の理論を問題にしているのかを知る必要があるだろう。ここで背景にあるのは、デイヴィッド・ヒューム以来のいわゆる規則性説 (regularity theory of causation) だ。大まかに言えば、規則性説では因果関係を「或る種の出来事が別の種の出来事を規則的に伴う」という関係から説明しようとする。たとえば、或る条件が成立すると必ず別の条件が成立するのであれば、その二つの間に因果関係を認められないか、という発想だ。この発想には大きな利点がある。因果関係を、観察可能な出来事の間に成立する規則的な関係から説明できるからである。しかし、ここには非常に厄介な問題がある。それが因果関係の向き (direction) という問題だ。
たとえば、Aが起こると必ずBが起こるとする。このとき「『Aが起きる』が真であることは、『Bが起きる』が真であることにとっての十分条件である」と言える。しかし、もしAとBが常に同時に成立し、Aが成立している場合とBが成立している場合が完全に一致しているならば、BもまたAの十分条件になってしまう。つまり、論理的な関係だけを見ていると、「AがBの十分条件」なのか「BがAの十分条件」なのかを区別できないのである。もっとも、僕らのような因果関係についての反実在論という学説を支持する者から見れば、これは当然だ。なぜなら、因果関係を論理的な条件関係で分析したり定義することはできないからである。そもそも論理的な関係が時間の前後関係とは異なるという理由だけで、こんな分析が不適切であることは自明に思えるのだが、現代でもあいかわらず因果関係を論理的な何らかの関係として形式化しようとする人が跡を絶たないのは不思議なことだ。
さて、規則性説にとって因果関係の向きは非常に深刻な問題である。AがBの原因であることと、BがAの原因であることは同じではない。それにもかかわらず、原因と結果の間に成立する規則性だけを抽出すると、そこにはしばしば方向を入れ替えても成立してしまう対称性が現れるのである。簡単に言うと、AがBに対して、そしてBがAに対して十分条件なのであれば、AとBは単なる(強い)相関関係があるだけであり、因果関係はないと考えるのが、現代の標準的な統計学や因子分析の理解であろう・・・ということなのだが、単に時間的な前後関係を導入すればよいと考えるのでは不十分である。寧ろ、規則性説の内部にとどまり、Boolean algebra、つまりブール代数を使って因果関係の構造を記述し、その論理的な構造の中から方向性を取り出そうとするのが、この論文の特徴である。
ざっと概観した限りでの感想を言うと、この著者は因子分析やマッキーの INUS 条件説といった、古典的な議論を本当に学んだうえで論文を書いているのだろうかと、やや疑わしい気がする。それに、これもまた古典的だが、共通原因の原理などについても考慮しているのかどうか不明な、かなりプリミティヴに見える議論が新発見のように語られており、どうもこういう論文は、僕には生成 AI が書いたか、アフリカのインチキ代筆屋の学生が書いた論文に見えてしまう。
実在論だろうと反実在論だろうと、因果関係の哲学においては認識論と存在論の循環(あるいは優先権争い)という論点をどう整理するかという大きな問題が伏在しており、これに自力で気づくかどうかで哲学的な才能のあるなしが決まるといってもいいくらいだ。そして、規則性説というのは、その規則性についての存在論を実在についての理論として展開できないからには認識論的な議論である他にないのだから、現象論として展開する以外にはなく、したがって論理的な関係として議論できるわけがないのだ。こういう基本的な理屈を、この論文の著者は軽視しているが、わざと避けているか、あるいはまったく気づいていないかのように、いまどき因果関係をブール代数で分析する(あるいは定式化する)なんていう、因果関係の哲学においては半世紀以上も前に斥けられた混同をいまだに持ち出しているように見える。そうすると、これは生成 AI が吐き出す文章によくある歴史的な経緯を知らない(生成 AI をトレーニングする「おやつ」、つまりウェブ上のドキュメントは1990年代より古い学説や事実については欠落が多い)という特徴を示しているように思うのだ。もちろん著者が単に不勉強なだけかもしれないが、どちらにしてもわれわれアマチュアの哲学者の水準にすらついてきていない議論なんて、AI が書こうと人が書こうとゴミはゴミである。