Scribble at 2024-01-05 09:35:30 Last modified: 2024-01-05 09:40:56

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NHK“朝ドラ”の歴代作品をご紹介する特設サイトです。1961年に始まり、「なつぞら」(2019年前期)で100作目の節目を迎えました。

朝ドラ100|番組|NHKアーカイブス

最近、あんまり朝ドラを観ていない。自分でもはっきりとは分からないのだが、どうも説教臭い印象を感じるようになったというのも一つの理由だろう。連れ合いからは、もともと学術研究者の卵でもあったわけだし、牧野富太郎をモデルにした『らんまん』などは興味がないのかと言われたけれど、なぜだか熱心に観る気がしない。もちろん幼少時は『ファーブル昆虫記』を愛読していたし、植物図鑑も座右(ガキに「座」なんてないが)に置いていたほどだったが、その頃はあまり研究者という人物には殆ど興味がなかったのも事実だ。

でも、かつてはもっと熱心に観ていた時期があるし、名作だと思う作品もあった。僕が自分でわざわざテレビのチャネルを替えて朝ドラを観始めたのは、記憶に残っている限りでは第52作の『春よ、来い』(1994年10月3日~1995年9月30日)が最初だったと思う。途中から主人公が安田成美から中田喜子に代わって強い違和感を覚えた記憶がある。でも、主人公の役者が代わっても観られるものだなと感心した覚えもあった。しばしば若手俳優の登竜門と言われるために主演の役者が作品を引っ張るものだと勘違いされているが、やはり朝ドラの主役は脚本や演出なのであろう。したがって、僕は出ている俳優が有名かどうとか、あるいは「女」優の外見なんて、あんまり気にしていない。実際、僕が公式サイトの制作・運営に関わった第81作の『ウェルかめ』(2009年9月28日~2010年3月27日)にしても、途中から主演「女」優のおっぱいがどうという話題ばかり夕刊紙で書かれるようになったわけだが、そんなの僕らは全く気にしてないし、そもそも僕は『ウェルかめ』の本編を殆ど観ていない。脚本や演出が駄目で、途中から観る気がしなくなったからだ。それでも僕らはプロなので、公式サイトは運営できる。

とは言え、1994年から今年で30年になるわけだが、ずっと毎回の作品を観ていたわけではない。たとえば、第57作の『甘辛しゃん』(1997年10月6日~1998年4月4日)から第80作の『つばさ』(2009年3月30日~2009年9月26日)までは殆ど観ていない。理由は、1997年から2002年までは大学院生として勉強(とバイトとゲーム)に没頭していたので、朝の8時に起きてるわけがなかったからだ。そして、2002年頃からは前職のメディア配信企業でチーフ・デザイナーとサーバ・エンジニアを兼任していたし、現職でも最初はプロフィット部門のシステム部長(というか社内で唯一の IT 人材)として取締役から新卒のパソコンのセットアップまで何でもやっていたから、朝の8時なんて会社で寝ていた時間帯だ。結局、朝の8時(もちろん他の時間帯でも放送されたり再放送もされているが)にテレビでドラマなんて観ていられるような生活になったのは、ここ最近のことなのである。

そういう暮らしになって、ようやく朝の8時にドラマを観られるようになって、僕が名作だと感じて覚えているのは、第83作の『てっぱん』(2010年9月27日~2011年4月2日)と、それからいまちょうど大きな被害が出ている石川県の輪島を舞台にした第92作の『まれ』(2015年3月30日~2015年9月26日)だ。最初に言っておくと、僕は主演の「女」優はふたりともぜんぜんタイプではない。でも、演出と脚本の力もあったからか、良い作品だったという印象が残っている。

これらの2作品に共通しているのは、まず実話ではないということだろう。もしかすると脚本家は実在の誰かをモデルにしたのかもしれないが、少なくともそういう逸話は聞いたことがない。ということは、やはりそれだけ脚本の力で見せるものがあった作品ということでもあろう。そして、これらの作品には(実在の人物をモデルにしたわけではないという理由もあるからか)、実在の人物がたどった経歴を知っている人間にとっては予定調和としか言いようがない偶然という要素が少ない。実在の人物をモデルにすると、現実に起きたことだからウソではないにしても、やはり主人公の周りで起きた偶然(幸運でも不幸でも)の要素があると、どうしてもストーリーとしては予定調和の印象が残ってしまう。かといって、これら二つの作品は単なる凡人の凡庸なストーリーを過度に劇的に描くという愚かさも少ない。これに比べると、第96作の『ひよっ子』(2017年4月3日~2017年9月30日)は、僕には単なる高度成長期のノスタルジーを電通的に描く凡作としか思えなかった。電通って、この手の「昔は良かった」式のオッサン・ホイホイみたいな番組や本を作るのが好きだよね。すべて否定しようとは思わないけれど、やはり昭和は「過ぎ去ってしかるべき」という意味での過去であり、愚昧・蒙昧が支配する時代だったよ。

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