Scribble at 2026-10-21 11:09:59 Last modified: 2026-10-21 17:57:32
あと3年くらいしたら、僕がウェブサイトの運営を始めてから30年が経過することになる。そういう経緯があったうえで言うのだけれど、やはり大半の人々は文章を書こうとする意欲だとか、これについて色々と書きたいという欲求のようなものはないんだよね。一部のオタクとかマニアが、長い文章を書いたり、あるいは文章を書き繋いで長文にしたりする。もちろん、僕らのように大学院で訓練を受けて多くの文章を書き慣れている人は、もともと人数が少ないし、長い文章を書くことに慣れてはいても好きだとは限らないから、そう多くはないわけである。それでも、承認欲求だけは一人前という人が多いせいで、Twitter のようなサービスでなんでもかんでも書くという人が増えたのは、よく分かる。ただ、僕は「つぶやき」というのは力にならないと思うんだよね。それは犬畜生と同じで、「好き」とか「こらっ!」なんて叫んだり吠えてるのと変わらない。どう思ってるかという感情は伝わるだろうけど、どうしてなのかとか、だからどうなんだとか、そういう前後の気持ちとか意欲とかは相手に伝わらない。
そういうわけで、一定の分量がある文章を探して読むのが好きだし、一定の文章を書こうとする人の意欲こそ信じられると思っている。『スーパーの裏でヤニ吸うふたり』のような作品についても、「よかった」だの「尊い」だのと叫ぶのは誰でもできる。そして誰でもできるからこそ、X や CGM サービスには山ほど集まる。そして、総体としては星の数や upvotes の数として現れるのだろう。でも、そういう数に説得力があまりないことは、統計の勉強をすれば誰でも分かる(批判的な人は、そもそも評価というアクションをとらないし、作品を一部しか読んでない)。なので、個人として文章を書いている人を探すのだ。
でも、上のような文章は、残念ながら僕にとっては殆ど興味がない。オタクによくある傾向だけど、データ量とか蘊蓄だけがすべてだと思ってるんだよね。でも、データを集めたり弄繰り回すしかやることがないわりに、アニメの12話がすべて原作漫画の第1巻だけで構成されているなんて嘘を平気で書いたりする。実は、原作の漫画は全巻の発行部数(電子書籍も含む)が400万部にもなるわりに、まともな評論が殆ど書かれていないという印象がある。これは、いま僕が特に『スーパーの裏でヤニ吸うふたり』という作品だけを調べているからなのかもしれないが、他の作品でも似たようなものなんだろうか。そういや、『白夜行』のページを熱心に書いていたときも、文芸評論として『白夜行』を扱っているまともな文章がないことに呆れたものだった。
で、「ネタばれ」というキーワードをタイトルにつけてるブログ記事の 99.9 % はゴミみたいな文章だから読む価値はないんだけど、ああしたキーワードを使ってまでアクセスを集めたい理由というのは、アフィリエイトが目的ならともかく、やはり単純にアクセスを集めて注目されたいという承認欲求なんだろうか。でも、良い文章を読みたいと思う人に限って、逆に「ネタばれ」というキーワードはゴミの印みたいなものなので、検索するときはマイナス・オプションで除外しているであろう。それに、「ネタばれ」というキーワードを使うということは、つまるところ作品の粗筋をなぞってるだけで殆ど評論なんてものではないと自分で宣伝しているようなものだ。