Scribble at 2024-08-27 12:56:14 Last modified: unmodified
「懸念しているのは、誹謗中傷する人に対しブロックした人が『けしからん』みたいに批判され、怖がってブロックしなくなるということ。大きな問題だ。誹謗中傷をネットで受け止める必要は全くない。ブロックを批判をするのはおかしいと、声を大にして申し上げたい」と強調した。
僕は、この河野氏はネット・ユーザには人気があるようだけど、政治家としては危険なところがあると思っている。なので、自民党総裁(もちろん自民党の総裁になったからといって内閣総理大臣に首班指名される保証はないので、そもそも総裁選挙で「総理になったら云々」と語るのはおかしいのだが)になっては困るのだが、それは別の話だ。ひとまず、上の事案については彼の言う通りだと思う。
これはネトウヨなどの口答えでよくある「表現の自由」などという減らず口にも関わるが、そもそも「表現」にヘイト・スピーチは含まれていないし、暴言や誹謗、中傷も含まれていない。過去に表現の自由というフレーズを掲げた近代の人々は、そんなことを想定して戦ったわけではないのだ。そういう過去の成果にフリーライドしている分際で、自分たちが生まれたときから表現の自由を理解しているなどと妄想を抱くのは勝手だが、それを他人に語ってみせるなどという傲慢は許しがたい。したがって、自らの判断で見聞きする必要がないものは、X の投稿だろうとなんだろうと無視したりブロックすればいいし、それが当たり前でもある。
そもそも政治家があらゆるメッセージを分け隔てなく聞く責任や義務があるかのような錯覚をバラ撒いているのは、政治学や憲法の学位すらもっていないマスコミだけであり、そんなことを政治家に求めたり期待している人などいない。たとえば、ロビー活動している企業や宗教団体などは、政治家が公平に全ての利害を考慮して調整することを期待などしておらず、自分たちの利害を優先してくれるように「袖の下」を渡すわけだ。それは投票するだけの一般人でも同じであって、しょせんは口先で何を言っていようと意見の異なる他人を尊重してくれなどとは思っていまい。公明党支持者が共産党員を尊重しろなどと言うわけがないし、れいわの支持者が維新の会の支持者を尊重しろと言ったりもしないだろう。したがって、何をブロックするかも各人の見識なり判断において行い、われわれ他人は「代議士」としての政治家に政策を託して良いものかどうか投票行動で評価を下したりできるし、在任中でも色々なところで批評して影響を与えられる(もちろん、違法だしお勧めもしないが、最後の最後は暗殺するという手段もありえる)。
また、更に輪をかけた一般論として、自分が認めない言動を遮ると「視野が狭くなる」だの人として成長しないだのと、余計なお世話としか思えないようなことを口にする人もいるわけだが、そういう「ソーシャル病」と言うべき偏見が、まさしく X や Facebook によって作られた錯覚であることを冷静に理解するべきだ。マゾヒストでもあるまいし、自分にとって不愉快な発言を好んで見聞きする必要などないし、ましてやそんなことをする義務などありはしない。そして、一部の結論ありきな社会学者やネットワーク理論の人間の愚かな議論を好む人はいまだに多いようだが、自分にとって不都合な意見を見聞きすることによって、「人が成長する」証拠など何もないのである。したがって、実証という意味での証拠や、妥当な議論という意味での論証も欠落している「社会学的ファンタジー」に付き合う必要などない。