Scribble at 2023-08-21 07:38:23 Last modified: 2023-08-21 09:28:01
カンザス州というと、アラスカなどを除くアメリカ本土の中央に位置する、いわゆる「ミッド・ウェスト」と呼ばれる地域で、東から始まった開拓が西へ進んでゆく経緯を長く伝える歴史的な遺産も多々ある。要するに古臭い街が多いわけだが、大昔の西部劇に登場する保安官じゃあるまいし、いまどき判事がこれほどの権力をもっているなんてのは驚く他にない。
ただ、科学哲学というよりも知識社会学のテーマとして、「科学哲学の定着と展開に冷戦がどう関わっていたのか」とか、「(科学)哲学の研究者にいまでも殆ど黒人がいないのはなぜか」とか、あるいは「分析哲学や科学哲学は、殆ど旧北部の州でしかまともに教えられたり発展していないのではないか」といった話題を追いかけている僕としては、こういうテーマにもいささか関心がある。つまり、アメリカには日本で語られたり報じられるよりも土地や気候や産業や文化や歴史の複雑な実情や事情があるため、やはり人種差別や極端な権威主義などが現存している地域もあろうという話だ。
実際、何人かがブログ記事で書いているように、実は西海岸のシリコン・バレーで働く人々の多くは、日本の報道とかイージーな短期留学やホーム・ステイから帰ってきた勤め人や主婦や子供の書いたものだけを見ると、いかにも「リベラル」という印象を受けてしまうのだが、例によってアメリカ人のリベラルというのは、実際のところ「#白人に限る」とか「#男に限る」とか「#英語をまともに話せる人間に限る」とか「#コンピュータ・サイエンスの博士号をもつものに限る」とか「#民主党支持者に限る」とか、多くの場合は常に但し書きのある「平等」だったり「自由」だったりする。したがって、英語の習得に苦労する移民とか、現地駐在員の子供とかは、「リベラル」な小学校の教員から人間扱いされなかったり、無視されたりする場合もあるという。ただまぁ、アメリカ人の「リベラル」という観念を日本人が誤解しているという点にも混乱の理由はあろう。
ともあれ、アメリカという国は色々と調べていくと、日本で語られているほど自由でも平等でもないということが分かってくる。これは昔から言っていることだが、人は自分にないものを理想として掲げる。したがって、大昔から内戦ばかりやってた日本という国は「和を以て尊しとなす」とか言ってみたり、粗野な国に限って「ジェントルマンシップ」などと言ってみたり、スケベ野郎どもの国に限って「文化の国」などと言ったりするし、自由でも平等でもないアメリカに限って、二流の社会科学者がアメリカを自由や平等の国であるかのような顔をして、自分たちが社会科学の最前線で研究しているという妄想を抱く。そして、浅薄な期待だけを抱いて留学したり移住してから幻滅して、日本に戻ってきて反米ネトウヨとかになる物書きが、昔から山のようにいるわけである。そして、そういうバカは珍しいので、マスコミは珍重して無能な人間にも物を書く場を与えてくれるので、そのうち「作家」とか「評論家」とかになってしまうわけだ。しかし、そういうバカどもの書いたものを、いまどきインターネットを使って丁寧に調べたらわかるような諸君は、1行たりとも読む必要はない。