Scribble at 2024-01-03 20:11:47 Last modified: 2024-01-03 21:51:24

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どこまで社会全体で一定の節度というか、テクノロジーとの適切な接し方が普及するのかは分からないが、少なくとも40年くらい前からコンピュータを使ってきている者の一人として、わずかな経験の話を書いておくと(*)、電子書籍なんてそう個人が何十年も使い続けられるものではないと思う。

僕の場合、もうモニターの輝度を下げると下げたで暗くて読みづらくなって目を凝らさないといけなくなるし、輝度を上げたら上げたで眩しい。各人でパソコンやスマートフォンの明るさは調整していると思うし、時間帯によって明るさを変更するソフトウェアや設定も使っていると思うが、どうであれ限界は訪れる。なので、僕の場合は印刷物の本なら何時間でも読めるが、スマートフォンの画面は iOS で輝度を調整していても5分と眺めていられないし、パソコンも最近は片目で眺めたりすることがある。ご承知のように、片目だと明るい対象を見ても目を開けていられるので、片目だけで距離感を失わないように行動できるようにしておくことは、武道や戦闘では必須のスキルだ。でも、こんなスキルを誰もがパソコンの操作やスマートフォンの利用に際して身につける必要などないに決まっている。

可能であれば、何かを読むときは印刷物だけを利用している方がいいと思う。かといって、電子書籍にもリスクを上回る便益があるという場合もあろうから、電子書籍をいまから手放せというわけにもいくまい。もちろん、その最大の便益はポータブルであることだ。ストレージに格納できる限り、どれだけの電子書籍をデバイスに格納しても重要は増えないという利点は印刷物に比べたら決定的なアドバンテージがある。また、キーワードについての全文検索も簡単だし、引用文を他のアプリケーションや媒体へコピーするのも楽だ。もちろん、僕は浅薄な技術論のようにイデオロギーとして電子書籍の利用を否定するつもりはない。それに、各自で自分なりに活用するなり抑制するなりを工夫するしかない。電子書籍を使うことで眼の寿命が10年だけ短くなるとしても、凡人の眼の健康なんて為政者や官僚にとっては些事でしかないわけで、誰も電子書籍の利用を行政なり立法として止めようとはしない。まったくもって、自動車や航空機がどれほどの事故を起こそうと、人類がその利用をやめたりしないのと同じ話である。

ただ、いくらデバイスに何千冊の電子書籍を格納できるとは言っても、そのデバイスの画面を何十時間も眺め続けることまで許容していいとは思わない。これまでのように、一定の時間ごとに目を休めさせるというメンテナンスは必要だし、一日のうちで利用する合計時間も少ないほうがいいに決まっている。

(*) なんで Google IME は「はなし」というトークンを全て「話し」と変換するのだろう。「話」という単語を使う人が減っているんだろうか。まぁ、昨今は「話」や「主張」や「意見」という言葉の代わりに「言説」などと気取って語る連中が増えているらしいので、こういう偏りも起きるのだろう。

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