Scribble at 2025-04-09 10:15:23 Last modified: 2025-04-09 10:44:59

英単語の覚え方というテーマも昔から色々なことが言われていて、ESL(第二言語としての英語)あるいは外国語の学習なら何であれ、いやそれどころか母国語についても同じことが言えるはずだけど、そもそも言葉なり言語について興味がない人は、何をやろうと無駄だと思うんだよね。つまり、誰でもいいけど相手が話したり書いてることを、正確に知りたいとか、それはつまりもっと知りたいという欲求とか関心とか、もちろん愛でもいいわけだけど、どういう動機や目的や意図や理由であろうと知りたいとか分かりたいと思わない限りは、何十万円で英会話学校へ通おうと、何百時間とオンラインのマン・ツー・マン指導を受けようと、言葉は覚えられないと思うし、東大暗記小僧的な能力だけで数万語を記憶できたとしても使い物にはならないんだよね。実際、海外で暮らしてたり仕事をしている人の統計なんてないだろうけど、旧帝大出身者が大半を占めるなんてことはないわけ。それこそ偏差値が70もないような大学の出身だろうと、あるいは大学すら出てなくて去年までキャバ嬢やってましたなんて人でも、英語を使って暮らしてる人はいる。言葉を使って生きるというのは、ペーパー・テストとか学齢とか関係ないわけで、それは現にアメリカ人として生まれ育った人の6割以上がアイビーリーグどころか大学も出てないという事実で明らかな筈だよね。

それから、話したり読んでいる相手のことを知りたいというだけではなく、自分自身についても言える。自分が果たして言いたいことを正確あるいは的確に話したり書いているのかという不安だとか反省だとかをする機会はあると思う。相手に誤解されたとか、上手い言い方が出てこないとかだ。ということは、相手の使っている言葉を知らないというだけではなく、自分自身も自分の言ったり書きたいことを伝えるべき言葉が足りていないという意味で、他に何かいい表現とか言葉がないかという興味をもってもいいわけだよ。つまり、外国語の勉強だけの問題じゃないんだな。どちらにしても、そういう不安を感じないで暮らしている人にとっては、そもそも日本語すら学ぶ必要を感じないんだから、そら英語なんて余計に必要ないわけで、口先で「映画をテロップなしに観たい」だの「フランス人と文通したい」だのと言ってみたところで、外国語を自由に操っているボク・ワタシなんていう妄想でしかない。でも、アメリカで生まれ育って英語を使っている人たちにそんな妄想はまったくないし、日本からアメリカへ移って暮らしている人たちにも、そんな妄想はまったくないわけだ。彼らにしてみれば、英語が使えなければそもそも生活できないし、街中でウンコしたくなってもどうしようもないという致命的なことになる。映画や文通なんてそういう切実さに比べたらどうだっていいわけだ。これは何も精神論を言っているわけではないけれど、要するに英単語を覚えられない人の最大のポイントは、本当のところ英単語を覚える切実な動機がないってことだろうと思う。もちろん、「ポイント」と書いたように、それは欠点とか弱点というわけではない。別に非難されるようなことじゃないからだ。だって、アメリカ人の大半はスワヒリ語を覚えなくてはいけないなんていう動機がないだろうけど、そんなこと誰にも非難される謂れはないだろう。それと同じで、別に日本人が英語を知らなくたって誰かに非難されたり笑われる筋合いのものではない。外国語を学ばなくても暮らしていけるなんてことは、ごく当たり前のことであって、そもそも外国語に通じている人なんていうのは、昔は交易商人か外交官でもない限り、たいてい犯罪者だったわけだよ。

なので、記憶力アップがどうとか単語帳の作り方とか、そういう本質的でないことにあれやこれやと手間暇をかけるのは、僕は愚かなことだと思っている。そして、本当の理由や原因を自分でもわかっていない連中が YouTube とかでせっせと配信している語学系のチャネルなんてのも、はっきり言って観る値打ちも効果もないと思うんだよね。彼らは、自分自身についてすら正確かつ冷静に英語を使えるようになった理由や原因を分析する学識がない、「単にどういうわけか英語が使えるようになった人たち」でしかないわけで、信用するには値しない。ここで説明した重大なポイントが欠落したまま、彼らが配信しているようなことを真似ても、大して意味はないと思う。

ほんの一例だけど、僕の同級生から聞いた話をご紹介しておく。まぁ僕の Facebook のアカウントを知ってる人は既に知ってると思うけど、この人物は僕と中学・高校の同級生で、高校を出てからの経歴は東大 → 財務省 → MIT修士課程 → マッキンゼー → 国内の上場企業の役員や CEO などを歴任している、それこそ絵に描いたようなエリートだ。かといって学識や才能をひけらかすような人ではなく、熱心に陸上競技の練習に打ち込んでいたり、英語についても他の教科についても、自分が知らないことは僕らみたいな偏差値が80もない人間にだって「教えてくれ」と尋ねてくるようなところもあった。特に英語は、お恥ずかしながら中学・高校時代は僕と彼が朗読や発音では双璧だったので、彼がどういう勉強をしていたのかに興味があって聞いてみたことがある。まず、彼はいわゆる単語帳というものを作っていなかった。これは一部の英語教育者が勧めていることでもあるが、とにかく多読、しかも同じ本を繰り返して読むというタイプの多読だ。これは聞いたときに強烈なショックを受けた。ふつう多読と言われたら、いわゆる英語教材用の副読本として販売されているシリーズをあれこれと読むことだと思っていて、僕は実際に Ladder Series という副読本を読んでいたのだけれど、彼はまず何よりも自分が知りたいとか読みたい本を手に取る。そして、それを何十回でも読み直すわけである。もちろん、副読本として制作されているわけではないから、対訳がないので「正解」も分からないし、訳語もないから自分で一つずつ知らない言葉は辞書をめくる必要がある。でも、単語帳を作らないのだから、辞書を引いて調べた意味を忘れると、再び同じ単語を調べる必要がある。もちろん、実際に忘れたら辞書を引き直すのは当然だ。でも、それを繰り返すことで覚えるわけだし、また忘れたら「これ、また忘れたな」ということは覚えているので、そういうエピソードで逆に覚えやすくなったりするらしい。そして、そういう本が或る歴史的な出来事の研究書だったりすると、何度も読むうちに自分が興味をもって読んでいる本の内容についても多くを知るようになるので、副読本のように興味のない人物の事績を覚えるムダもない(正直、何の興味もない人物の生まれや育ちを副読本で覚えて何になるのか)。そして、重要なのは単語を学んだり本を読んでいる当人の強い目的や動機があるということだ。これが単に「英語のお勉強」にすぎないなら、長くは続かないかもしれないし、大して効果がないかもしれない。でも、それを読む動機や興味があるのだから、内容が分かるまで何度も読むのは当たり前である。そして、300ページ前後の単行本を読み込んでいくと、それだけで実は大学受験に必要な6,000程度の単語は覚えてしまうのである。それを何冊か、3年間にわたって繰り返して何十回も読んでいるのだから、語彙が確実に定着するのは当たり前というものだろう。

こういう事例を紹介すると、言葉の使い方が著者の癖や習慣に引きずられてしまうからよくないといった「客観主義」や「純粋主義」や「形式主義」や「不偏主義」や「包括主義」という理由で疑問を呈する人がいるんだけど、そんなことを心配する暇があったら英語で何か業績を出す方が重要だと思うんだよな。そういう自称英語教育者とか教育評論家なんて、実際には英検1級すらもってないか、アメリカで上場企業の役員級とか大学で教えた経験がない「丘訓練の鬼教官」にすぎないんだよな。

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