Scribble at 2024-09-06 08:29:10 Last modified: 2024-09-06 09:25:58

このところ UX に関連する書籍をいくつか眺めているのだけど、とりわけ数多くのケースや「法則」などを列挙するタイプの書籍に感じる顕著な感想として、「それ、UX の論点なのか?」という疑問がある。なぜなら、これは僕の理解が厳密というよりも寧ろ狭すぎるからかもしれないが、システム開発に置き換えると、僕は UX というのは「総合テスト」に該当するスケールの話題だと思っている。したがって、「単体テスト」に該当するスケールの話題は、UX というよりもユーザビリティやアクセシビリティに関する議論ではないのかと思う。

具体例を挙げると、UX の本に「法則」として紹介されることが多い「ミラーの法則」というのがある。つまり、ヒトの短期記憶では7個(プラスマイナス2個)程度の事項しか一度に覚えられないというやつだ。そして、その事例としてウェブ・ページに配置する色々な事物の個数にだけ固執して、やれ選択肢の数を7個前後にせよとか、ウェブ・ページの文章で強調するキーワードの数を7個以内にせよとか、そういう的外れなことが書いてある本も多い。しかし、僕が考える本来の UX というアプローチで言えば、ミラーの法則を議論すること自体が的外れなのではなく、ユーザが或る箇所で選択したり判断するにあたって必要な情報を、そこまでの経過(一つのページ内で推移する手順だったり、複数のページをたどってきた手順だったりする)で過剰に要求していないかどうかという着眼点で参考にするべきなのだろうと思う。

もちろん、ウェブ・コンテンツで提供される個々の UI 要素の使い勝手も「経験(experience)」の一つではあるから、UX の議論に含められると言えるのかもしれない。つまり、ユーザビリティは UX の一部であるという理解も通用するだろう。でも、僕は UI 要素のビジュアルとかインタラクティブな挙動の定義とかを工夫するという部分最適化だけでは不十分だという理由で UX というコンセプトが提唱されたり普及してきたのではなかったのかという印象がある。よって、定義としては正しくても、UI 要素のデザインを個別に議論しているだけの近視眼的な本を「UX の本」だとは思えないわけである。

あと、もう一つだけ感じるのは、ウェブ・コンテンツのデザインに視覚心理学などの認知に関わる論点を組み込むだけで「UX」だと言い張っているような本も見受ける。そして、それと最初に述べた部分最適化とを組み合わせていることもあるため、要するにデザイナーも心理学を学びましょうといったメッセージを発していることになる。これも、僕のように20年以上も前からデザイナーも認知心理学の素養をもつべきだと、デザイナーの基本的な素養として想定しているデザイナーとして言わせていただければ、なにをいまさらという印象を受ける。

正直、いま日本で UX などと言っている人々の9割以上が言ったり書いているものについては、自分たちでコンテンツの利用者における心理や生理を何十年にも渡って軽視したり無視したまま本を書いたり芸大や専門学校で教えていながら、いまさら初めて発見したかのようなことを言うなという違和感がある。そういう無能どもが、いまさら UX だのなんのと言い始めて本を書いたり大学やセミナーで専門家ヅラして解説していても、僕らのようなレベルのデザイナーからみると、付け焼き刃で喋っているだけという印象しかない。僕は大学で TA(教務助手)をした経験もあるが、どういう分野の大学教授であろうと、自分にとって興味がないテーマとか勉強不足のテーマについては、どこの大学の教授であろうと、授業や演習では付け焼き刃で何冊かの本を読んで適当に喋っているだけだ。講義や演習の裏方にいて、しかも僕らは研究者に近いレベルの素養をもつ博士課程の大学院生であったから、自分の専門とするテーマについては指導教官よりも詳しく正確に知っていることも多いため、なおさらそれが分かる。なんか適当に喋ってるなぁーというのが分かるのである。UX について本を書いている人の大半についても、認知心理学や色彩心理学などの本を何冊か読んだていどでビジターを語っている印象があるし、サイトの運営側に関わる KPI についても、正直なところバック・オフィスの実務知識や経験がまるでない UX デザイナーやセミナー講師や物書きが語ったところで、何の説得力もない。

なので、こういう人々が語る UX というのは、UX の内容そのものについても、それから UX の効用が期待される KPI などについても、たいていは抽象論や一般論で終わることが多々ある。それは、抽象的な議論ができる「あたまの良い人」だからではなく、要するに UX についても KPI についても、よく知らないからなのだ。抽象語や一般名詞を使って議論できると、占い師のように誰にでも当てはまるような錯覚を引き起こすわけである。YouTuber の多くにも、生まれながらにして詐欺師のようなガキがいたりして、話が上手いなどと評判を得たりするのは、こういう言葉の使い方が上手いだけなのであって、物事を正確に理解したり実体験しているからではないのである。こういう言葉の使い方をしているうちに本人も自分自身に催眠をかけることとなり、「世界」や物事の実情がそういう抽象語や一般名詞で表現できるようなものとして出来上がっていると思い込むようになる。そして、そこから出てくる、たいていは錯覚をもとにした推測の多くですら何か確固たる根拠がある議論のように他人には見えるというわけだ。

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