Scribble at 2020-03-12 08:47:44 Last modified: 2022-10-02 22:43:58

高校数学の「数学A」で導入される「必要条件」と「十分条件」の説明と言えば、p → q において「p が q であるための十分条件である」とか「q が p であるための必要条件である」という表現がお馴染みである。かつて当サイトの Notes では、このような説明が非常に不正確で、高校時代にも数学教師に「言っていることはわかるが、どうしてそういう説明をするのか」と質問したほどだった(僕が卒業した大阪教育大学の付属高等学校は、教育方法の研究が教員に課せられているため、教え方について一定の業績を持つ教員が集まっている・・・筈なので、こういう質問をしても迷惑がられず逆に歓迎される)。

上記のような説明が分かりにくいという理由の一つは、僕が既に大学の「論理学」のテキストを読んでいたことに関係がある。数理論理学においては、条件法(conditionals)の前件(antecedent)と後件(consequent)には、真理値を除いて意味としての脈絡はない。要するに T → F とか F → T とか T → T によって計算される命題関数の扱いが条件法の内容のすべてであり、前件や後件で《何が言われているのか》は、はっきり言えばどうでもよいのである。つまり、P という命題がどういう意味をもつかどうか(それは即ち真であるかどうかの話でもある)を論理学が決めるわけではないのだ。しかし高校の数学では、典型的には p(x) は「x は目黒区五本木へ行った」、q(x) は「x は東京都へ行った」という例文が使われ、p(x) → q(x) において、x が東京都に行くことは x が目黒区五本木へ行ったとするために「(そもそも)必要である」とか、x が目黒区五本木へ行きさえすれば、x が東京都へ行ったことについては「(もとより)十分である」と説明されるのだが、数理論理学を学んだ人間にとっては、そういう説明は前件と後件の特別な脈絡に依存した説明の仕方であり、その脈絡を説明しない限りは条件法として表現される定理とか法則を説明したことにはならない。

だが、高校数学の数多くの参考書や演習書というものは、このことをきちんと解説しない。それゆえ、大学へ進んで論理学の授業を受ける学生は、大学の記号論理学の授業やゼミでは必要条件とか十分条件という概念が《まったく使われない》という事実に困惑するわけである。それはそのはずであり、記号論理学においては条件法という言明全体の真理値が真であることと、その要素である前件や後件の意味や脈絡は何の関係もないからだ。或る文が真であるか偽であるかを、論理的な法則だけで決定できる範囲を超えて決めるためには、(1) 単純に仮定するか、(2) 経験科学や観察によって暫定するしかない。そして、そう決めたうえでの記号操作をやるのが論理的な演算というものである。原子命題の真偽は、論理学には決められないし、決めなくてもいいのである。よって、ここから明らかなように、論理学を正確に理解していればなおさらのことだが、論理学だけで学問や知識についてなんでも判断したり考えたり言えるなんてことはありえないのだ。

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