Scribble at 2023-05-14 14:01:01 Last modified: 2023-05-14 14:05:47

弱い雨天の中を、今日は図書館まで本を返却に行ってきた。久しぶりに中央区の島之内図書館である。実は、家を出るまでは天王寺区の図書館へ行こうと思っていたのだが、『FISHERMAN'S FRIEND』がなくなりそうだったので、クリスタ長堀のジュピターという輸入食材の店で調達するために、長堀橋の近くにある島之内図書館へ行き先を変えたわけである。

この図書館でも、『広辞苑』をはじめ何冊かの大きな国語辞典で探してみたのだが、やはり「本レザー」なんて言葉は収録されていない。何分冊にもなっている大辞典にも収録されていなければ、どうして西洋剃刀を「本レザー」と呼ぶのかは、もう呼び始めた頃に生きていた人たちしか分からないだろう。そもそも、その根拠を説明したり、資料を示したりできるかどうかすら分からない。

買い物も終えて自宅に戻ってくると、途中で個人宅のガレージが開いていて、犬が寝そべっていた。あのような光景を眺めるのは久しぶりに感じる。そもそも、最近になって建てられる個人宅は玄関から道路までのあいだに庭のような空間が殆どないため、門の内側に犬が寝そべっているといった構えの家が少なくなってきている。かといって、ここ数年のコロナ禍ゆえかガレージを開けて外出する家庭も少なく、したがって家から犬が外へ出ている様子や、ガレージのアコーディオン扉が開かれて犬が寝そべっている様子も見かける機会が減っていたのだと思う。

そういや、いまの家で生活するようになった20年前は、近くの個人宅でドアの前に犬が座っていて、前を行き交う人たちをのんびりと眺めている様子だった。前を通っても特に何か反応するわけではなく、遠ざかっていく様子を「ほな、さいなら」と眺めているだけの犬であったため、僕と連れ合いだけで「ほな犬」と呼んでいた。しかし、数年ほどすると近くを通りかかるだけで狂ったように喚き始めるようになり、豹変ぶりに驚いていると、その犬はいなくなった。付近の住人から文句を言われたのか、あるいは飼い主が自主的に外へ出さなくなったのかは分からない。なんにせよ、それから1年も経たないうちに、その家自体が取り壊されてしまったのである。

僕は、いまではあまり犬に近づきたくない。小学生の頃は家の近くにあった個人零細のシール工場で飼われていた大きな白い犬が好きで、学校から帰ってきたら工場(この場合は「こうじょう」と読むよりも「こうば」と読んだ方がいい)に入り浸って犬の相手を何時間もやっていたものだが、これも或るとき、犬が声を荒げて警戒するようになり、あれも痴呆になったからなのか、家主から「もう来ない方がいい」と言われて残念な思いをしたものである。もちろん、その零細工場は何十年も前に無くなり、生野区の狭い土地なんて買っても大した家が建てられないからか、たぶん30年以上も更地のままである。ということで幾つかの残念な経験があったため、遠くから眺めているにはいいが、犬の近くへ寄るのは警戒するようになった。

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