Scribble at 2024-03-06 13:58:13 Last modified: 2024-03-07 12:46:47

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お恥ずかしい実例ではあるが、これは僕が作っている英文法のノートだ。上段には、ベースになる内容として体系的な大部の書籍から要点を抜き出している。僕の場合は、上段には綿貫陽氏の『徹底例解ロイヤル英文法』(旺文社、2000)を使っていて、ご承知のように1,600ページを超える事典のような書籍であるから、要点を抜き出すだけでも同じく事典のようなノートになる。上記は MD Notebook Light の新書サイズを何冊も両面テープで連結してあって、合計で8冊ぶんのノートを連結してあるため、単純計算で380ページほどの新書サイズのノートとなっている。

そして、下段には別の英文法の概説書から、上段の内容を補足したり、別の考え方として併記するような、つまりは「その本を読んだからこそ分かる、オリジナルなポイント」だけを追記してある。同じことを重複して書くのは無意味だからだ。そして、このノートに追記するような内容がない概説書は、簡単に言えば読む必要がなかった本であり、端的に言えば時間とお金と労力の浪費と判断できる。

でも、実際にはそんな本は殆ど無いし、僕らのように勉強から学問まで、いちおう国内でもトップ・クラスの高校や大学院の博士課程に在籍していた人間として、読む必要がなかったと言えるような本を、そもそも選んで買ったりするわけがないのである。それに、全く読む価値のない、他の本との重複があまりにも多くて、殆ど盗用ではないかと言えるような本があれば、そんなものは早々に絶版となって書店の店頭に(僕らが手を伸ばすまで)置かれているはずもない。僕は、もちろん権威主義者であるから、いわゆる古典的なテキストから選んで読むので、いくら新刊書として売れているからといっても、評価の定まっていない教科書を読んだりはしない。そして、多くの分野では、既に評価の定まっていて長く販売されている教科書だけでもたくさんあるのだ。英文法のテキストだけでも、古典的なものは五指を超える。そして、たいていの分野を学ぶにあたっては、五指ていどのテキストを丁寧に読みさえすれば、その分野の標準的な修士課程の大学院生を上回る素養が身につくのである。そして、標準的な修士課程の大学院生を上回るくらいのレベルで素養を得たら、もちろん該当する分野の基礎を知っていると自信をもって公表しても構わないと思う(もちろん、それだけのことで博士課程に進めたり博士論文を書けるわけではないが)。

ということなので、他にも高校の数学とか、情報科学についても「ぼくのさいきょうのノート」みたいなものを作っているし、今年は化学について、それこそ有機化学と無機化学を含めた大学レベルのノートを作れるていどに何冊かのテキストを読もうと思っている。もちろん、なんの目的や動機もなしにやっているわけではなく、化学は髭剃りにかかわる科学的な議論を展開するためだし、情報科学はそろそろまともなレベルの議論をここでも公表したいからだ(CAP定理のまともな議論や解説を日本語のサイトやブログで読んだことがある人はいるだろうか。この国では大学院生ですら、このていどの概念や理論をまともに話題として取り上げようとしない。だから、実務においても学問においても、慶応 SFC だろうと東大だろうと、そのうちベトナムやシンガポールの人材にも圧倒されることだろう)。

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