Scribble at 2025-02-01 10:39:38 Last modified: 2025-02-02 14:12:04
日下貝塚は、大阪府東大阪市の生駒山西麓にある遺跡だ。発掘調査の報告書などでは「日下遺跡」と表記しているが、史跡としては「日下貝塚」の名称で登録されている。縄文時代の貝塚や古墳時代の馬の骨などが出ていて、当時はその付近まで海水面が上がっていたことを想定させる史料の一つだ。
僕は考古学を学んでいた中学生の頃に、日曜日は自宅の周りにある史跡へ自転車で訪れたり、あるいは大阪府の外環状線に沿って盛んに発掘されていた調査現場に行って、調査の様子を眺めたり写真に撮影したり、あるいは出たばかりのビデオ・デッキとビデオ・カメラを抱えて動画の撮影までやっていた。テープが高額だったから、撮影した様子を自宅で眺めたあとは再び上書きして撮影していたので、当時の映像は殆ど実家に残っていなかったのが残念だ。そういや、高額だったとは言っても VHS のテープが50本ていどは自宅にあるから、あれをパソコンに取り込んでデジタル化しようと思って20年以上も経過してしまった。
さて、この日下貝塚だが、ここへも中学時代に自転車で訪れたことがある。そして、記憶では場所だけ分かっていたのだが(研究者が買うようなA2版の遺跡地図を持っていたからだ)、実際に現地へ着いてみると遺跡の場所が分からなかった。当時は掲示板やパネルなんてなかったからだ。そういう次第で町の中をウロウロしていると、老人に呼び止められた。日下貝塚という遺跡があるとのことだが、掲示板や記念碑のようなものは付近にないだろうかと尋ねると、自宅に色々と置いてあるから見ていきなさいと誘われたのである。郷土史家や学者なら知っていて当然だが、周辺地域で発掘されたり受け継がれている遺物や文化財を地元の名士などが家の蔵などに保管している事例は全国にあって、蔵や家を建て替えたり転居する際に、知らずに保管していたものが見つかることもある。そして、保有している方が郷土史などに関心をもっていると、わざわざ自宅で観賞・展示用に遺物をケースに並べていたりすることもあるのだ。
さきほど Google Maps で偶然に石切付近を調べていて、その当時のことを思い出して Street View で眺めていたのだが、どうも老人に誘ってもらった民家がない。もちろん近くには「旧河澄家」という市の文化財に指定されている旧家があったりするのだけれど、日下貝塚から出た遺物を見せてもらった御宅はもっと小さかったように記憶しているし、お名前も違っていたはずだ。ひょっとして、もう40年以上も前のことなので、御本人が生きているわけもないから子孫の代で転居したりマンションに建て替えたりすることもあろう。