2022年06月07日に初出の投稿

Last modified: 2022-06-07

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ここ数週間にわたってホイジンガの『中世の秋』を読んでいるのだが、もちろん何週間も読んでいるということは、読み進められていないということでもある。はっきり言って読みながらウンザリしている。

かなり奇妙な感触を覚える堀越孝一氏の翻訳にも原因はあると思うのだが、それだけではない。注釈が少しはあるものの、およそ学術的な文献としての精度とは異なる読み物だと割り切ってもいいにせよ、いったい何が言いたいのか主旨が分からない。ゆえに、そこから趣旨をたどって理解することもできないというわけである。ただ単に中世の終盤に起きた出来事や、王侯貴族から民衆に至るいろいろな人々の様子を、ホイジンガの叙述や解釈として眺めているだけだ。そして彼の口から出てくるのは、これでもかと繰り返される、中世の人々への罵倒だったりする。それはつまり単純、短絡ということなのだが、もちろん同じことは現代においても現代のさまざまなサブカルなどを題材にして通用するであろう。

それにしても、本書に推薦文を書いているのが江藤淳氏だというのは皮肉なものだ。彼が亡くなった頃から更に20年以上も経過しているが、やはりいまだにホイジンガが『中世の秋』で罵倒した類の短絡は、ここ東アジアの辺境国家においても為政者や民衆に蔓延している。また、江藤氏が憎んでいた親米右翼ばかりが金と権力を握っていて、昨今では親米どころかまるっきりアメリカのポピュリストやリバタリアンのコピーじゃないかと思うような、維新の会といったクズみたいな連中も続々と国政に入ってきている。そういう意味では、国を憂いてなにごとかするという点では、三島由紀夫と方法は違えど、江藤の自死も厭世や諦観というよりは一つの抵抗だったのかもしれない。

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