Scribble at 2021-03-02 13:42:00 Last modified: unmodified

読書のページに追記してもいい話だと思うが、その度にサイトのトップに掲載し直してると、いつしかフロント・ページのトップに読書の記事がずっとあるから、読書のサイトだと思われるかもしれないので、こっちに書いておく。

夜中の3時頃に思いついて Google Keep にメモしておいたことなのだが、しばしば分析的な読み方と総合的な読み方という対比を語る人がいて、それはそれで理解できる話だと思う。もう少しだけ敷衍すると、例えば古典を一冊だけ、他の書物を読み比べずに読み続けるというタイプの読書があって、それを「分析的」と言えなくもない。それに対して他の書物との比較で何か特別な理解へ進むのが「総合的」と言えるように思う(他にも、この対比を色々な意味で説明する事例があろう)。ただ、単独で一冊を読んでいても、経験との比較は生じる。それが関連本の読書体験であれば、結局は分析的と言っても独立した経験として書物を理解するわけではない。そして、そういう読書体験が当該の著作物と関連性があるとされている書物(いわゆる二次文献)なのかどうかは、実は大して重要ではない。とりわけ僕等のようなアマチュアは、どんどん関係があるのかないのか分からないような状況で古典を読めばいいし、そもそも古典に限った話ではない。つまり、或る著作物と他の著作物との関連性を要求するのは、アカデミズムという限定されたゲームのルールとしてだけであり、そのルールに従って比較した上での論説が「手堅い」業績として積み上げられる。もちろん、それも立派な実績の一つであり、何も揶揄したり非難する意図はない。

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