Scribble at 2026-07-13 09:32:53 Last modified: unmodified

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# Nano Banana(主旨の分からないイラストだが、本文で分かるはず)

特に X では、無償で公開されている電子書籍のテキストや講義録や研究書などが広報されていて、さきほども400ページくらいの graph theory の教科書が無償でダウンロードできることが紹介されていた。特に英語圏では理数系の研究者が体系的な教科書を授業の教材みたいに作って公開する事例が多く、STEM なんてわざわざ言わなくても、これなら理数系を学ぼうとする人が増えても不思議ではない。逆に言えば、英語圏ですら人文・社会系の研究者は自力で教科書を書いたり、ましてやそれを無償で公開することが殆どないわけである。

幾つか理由は考えられるが、最大の理由は二つ。一つめに、人文・社会系の研究者というのは、実は理数系の研究者よりも蛸壺の傾向があって、教科書を書けるだけの体系的な知識をもっていないということだ。これは実感として分かる。僕らにしても、「哲学」の教科書を書けと言われて中世哲学や新カント学派について妥当な内容の解説が書ける自信はない(僕がかつて教科書を制作すると言っていたときも、科学哲学の教科書を作る自信はあるが、哲学全般の歴史を前提にした教科書までは難しいと思っていた)。それこそ、飲茶とかいう人物のように薄っぺらいまとめ記事のようなものを積み上げて「哲学史」の本を名乗るような厚顔無恥でもなければ、一人で哲学史の本を書くなどということはできまい。それこそ、ああした手合いの本なんて、いまでは生成 AI で十分に置き換えられる。

そして二つめの理由は、人文・社会系の研究者は出版社などとの利害関係によって活動を牽制されやすいと考えられる。人文・社会系の研究者の「業績」というのは、殆ど論文と単行本でしか評価されないので、理数系のように研究成果が産業界などへ応用されたり、あるいは自分で特許を取るといった利得には結びつかない。なので、教科書を自力で書いて公表するなんてことをすれば、自分が所属する大学の出版局から教材としてテキストを発行するといったことは行われなくなり、いかに大きな利益を出していないとしても大学出版局との人間関係はたいてい悪化する。また、そのようなことは大学の教授会レベルでもスタンド・プレーと見做されるであろう。

これに比べて理数系では熱心に体系的なテキストを公開する人が多く、既に大量のテキストを学習している生成 AI で十分ではないかと思う人はいるかもしれないが、やはり彼らは生成 AI のレスポンスでは不十分だと考えていることになる。これも、僕は実感として分かる。チャッピーや Gemini で特定の分野やテーマについて体系的な内容での記述を求めても、さほど長大で詳しい文章を返してくれない。たとえば何かテーマを与えて、レスポンスできる最大の文字数でブログ記事を書いてくれと指示しても、有料で契約している Gemini でさえ、せいぜい3段落ていどの文章しか作れない。これは、一度に数百行のプログラムをレスポンスできることに比べたら、かなり失望させられる。

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