Scribble at 2026-08-10 18:54:28 Last modified: 2026-08-11 09:00:27
まだ弊社でも、それから僕個人としても積極的に agentic AI を利用できているわけではない。いま使っている agentic AI らしきものと言えば、せいぜい朝の6時に TOEIC 900 レベルの英単語を10個ずつ紹介してくれるように Gemini へ指示したり、あるいは特定のメール・アドレスから会社のメール・アカウント(実体は GMail)へ着信したら Google Chat へ通知するような、非常に初歩的でプリミティブな用途だけだ。そして、これらは仮に Gemini が何らかの失敗をしても大きなインパクトがない。英単語のリストが届かなくても別に困らないし、いつも請求書の添付されたメールが届くころに来ていなければ GMail へ直にアクセスして着信の内容を確認するだけだ(GMail でも確認できなければ、相手方へ請求書の未達を問い合わせることもあろう)。つまり、僕は生成 AI の性能をぜんぜん信用していないので、まだこの程度しか敢えて使わないのだ。伊達に企業で Chief AI Officer を名乗っているわけではないのだから、やろうと思えば幾らでも設定はできるが、しかし逆にそういう軽率なことをやる者が CAIO を名乗る資格は無かろう。
さて、生成 AI の利用が進んできたら、従来の RPA というトレンドもあって、agentic AI を活用できるかもしれないと期待するのは当然だろう。そこで本論文は、ユーザの代わりに判断や行動を行うエージェント型 AI (agentic AI) が、真にユーザをエンパワーメント(権限付与・能力強化)するものになるか、あるいはプラットフォームによる囲い込みに終わるかという問題を、技術・政治・制度の観点から包括的に分析しているので、現状の理解としては参考になるかもしれない。そして著者らは、過去20年間においてユーザーの代理として機能してきた四つの主要な技術領域(広告ブロッカー、レコメンダー・システム、自律的アドバイザー、スパム・フィルター)の歴史的変遷を比較分析して、技術システムの進歩とガバナンスの変化がどのように展開してきたかを明らかにしている。
で、その比較分析から導き出された中心的な概念が「脱政治化(depoliticization)」だ。これは、ユーザの利益とプラットフォームの利益が衝突する本質的に議論の余地がある政治的選択が、API の設計、標準プロトコル、デフォルト設定、業界規格といった技術的枠組みの中に埋め込まれることで、公的な異議申し立てや議論の対象から排除されていく構造的傾向を意味する。要するに、AI を使うことにかかわるイデオロギーの影響を弱めるということだ(先日の落書きでも紹介した、「ベクトル資本主義」など)。この概念を使って、個人の利便性やパフォーマンスの向上と、集団として異議を唱える能力(集団的異議申し立て能力)は必ずしも一致せず、むしろ逆方向に進む場合があることが示される。たとえば、スパム対策において受信トレイの精度が向上した一方で、ユーザ側がフィルタリングの基準に異議を唱える組織的基盤が消失したプロセスがあり、ちょうどそれに近い状況が起きるらしい。
そして、本論文の著者は、代理システムにおける可能性の境界を「基盤」「認識論」「目的論」の3つの次元に分解し、集団的異議申し立てを維持するためには、公的な可視性、独立したインフラ、牽制関係のあるガバナンス構造といった条件が必要であると論じる(まぁ、寡占状態のサービスや企業グループに行政が加える規制なんてものは、たいていこういう仕組みを要求するものだ)。そして、現在急速に標準化が進むエージェント型 AI のプロトコル(MCP: Model Context Protocol 等)や標準化団体(Agentic AI Foundation)のガバナンス構造が、まさに過去の技術において集団的異議申し立て能力を喪失させたパターンを踏襲しつつあると警告している。つまり、業界が勝手に立ち上げた組織に自浄能力なんて最初からないのであって、そういう組織は自浄能力があるかのように演じるインチキ芝居にすぎないというわけだ。僕が、国内のプライバシー法制について、企業の実務家という立場から、「情報法制学会」なんていう LINE / Yahoo! JAPAN の息がかかったインチキ学会を昔から批判してきたのと同じ構図である。
そういうわけで、技術的・制度的な構造が固定化される前に、ユーザ側の関与を担保する牽制力をもつ制度設計を組み込むことが不可欠であると本論文は結論付けているのだが、それはなかなか難しい。立法や行政も産業界からの影響が避けられないのだから、「御上」に期待するという江戸時代の百姓みたいなことを言っていてもしょうがないのである。もちろん、だからといって、われわれ市井の実務家が牽制できるかと言えば、これも難しい。僕らは金が儲かるわけでもないのに、正義のために立ち上がるなんて生活の余裕はないからだ。よほど自分の生活に悪影響があるならともかく、たいていの人は仮に戦争へ巻き込まれるようなリスクですら軽視して放置することもある。確かに、それを正当化したり言い訳にしてはいけないので、少なくとも僕はこうして個人としてものを書いているし、私企業の CAIO として杜撰な AI の導入や運用には抵抗するつもりだ。